「在宅で過ごす人生最後の日々」(下旬)亡くなっていく患者さんには同情しない

『デスエデュケーション』といって、家族の方に「今後どんな症状が出ますよ」などとお話しているとすごくいい感じなんです。

亡くなったと聞いて駆けつけますと、もう誰1人、叫ぶように泣いている人はいないですね。

行けば、もう本当に静かな感じで、中には枕元にお線香が供えてあって、みんなで手を合わせているところもありました。

「ゆくゆくこうなりますよ」ということをお話しておくと、家族も落ち着かれた感じになります。

僕自身が目指したいのは、亡くなる瞬間に、家族が「ワーン」って発狂したように泣くシーンだけは、なるべく避けたいということなんですよ。

その前に、泣くだけ泣いていただいて、亡くなる瞬間には「ありがとう。大好きだったよ」と言えるようにしたいですね。

一生懸命やった人って、むしろ冷たいようでも泣かないんです。

やるだけやったんだっていう思いがあります。

冷たいようですけど、実際そうです。

亡くなっていく患者さんとの接し方について、いつも気をつけていることがあります。

それは同情しないことです。

亡くなっていくということは当然自分自身にも起こるんですよね。

僕も、もしかしたら明日、交通事故で死ぬかもしれないんです。

そういう人を今までたくさん見てきましたから、自分自身も亡くなっていくということを強く思うんですね。

あと、押しつけないでよく話を聞くことも心がけていることです。

同情ではなく、「苦しいですよね」という共感です。

また、なるべく部屋に足を運びますし、スキンシップを大事にしています。

しかし患者さんだけじゃなく、僕ら自身も傷ついている部分はあります。

疲れ果てている夜中に呼ばれ、冷たい言葉をかけられることもあるんですね。

だからこそ、やさしい声かけっていうのを僕らもほしいなあと思います。

仕事で在宅医療をしていますが、仕事を超えたところでの仕事になっていますね。

本当に基本的な仕事は、朝8時から夕方まですればいいのに、在宅の仕事をやっていると夜中も遠慮なく呼ばれます。

でも、呼ばれた分のお給料をもらえる訳ではありません。

お看取りに行ってもガソリン代ぐらいしか出せないんですよ。

だからこそ、「お世話になりました」といった、やさしい声かけをしていただくと、「ああ、頑張って良かったな」と思います。

僕らも迷いながら仕事をしていますが、やはり最後は自分で納得できる人生だったかですね。

愛する家族、誰かがそばに寄り添って、眠るように懐かしい思い出に囲まれて最期を迎えることが出来ればいいかなと思います。

注射を打ったりすることも確かに大事ですが、その人に寄り添って、最後までそばにいるというのが僕らの仕事なのかなあと思います。