小説・親鸞 屋根の下 2014年11月10日

熊谷蓮生の毛(け)脛(ずね)が、屋根から梯(はし)子(ご)を伝わって降りてきた。

下にいた覚明は、泥を浴びた顔に笑みをたたえながら、鍬をそこに抛(ほう)って、

「やあ」と、懐かしげに近づいてきていった。

「久しぶりだ、実に何年目だろう」

「十七、八年になる」

熊谷蓮生も手を伸べて、旧友の手をにぎりしめる。

「貴公と初めて会ったのは、寿(じゅ)永(えい)の年か」

「いや、治(じ)承(しょう)四年だ」

「貴公たちは、木曾義仲の幕(ばつ)下(か)として、京(けい)師(し)に入り、われらは、頼朝公の東国兵と共に、平家の本拠をついて都へなだれ入った。――たしかあの年だったかなあ」

「その以前にも、一、二度はお目にかかっていたが」

「なにしろ、久しい」

「変ったのう」

「世の中も、わが身も」

「夢だ、一瞬だ。」

「しかし、お互いに、戦場を駈けあるいて、修羅のなかに、幾多の人を殺(あや)め、羅(ら)刹(せつ)にひとしい血をあびて、功名を争った者どもが、こうして、無事安心のすがたを陽(ひ)の下に見合うことができたのは、倖(さいわい)といおうか、めでたいといおうか、思いもよらぬことだった」

蓮生が、沁々(しみじみ)といって、樹陰の石に腰をおろすと、

「まったく!」

と、和しながら、覚明もそこに身を並べていう。

「――これも皆、仏光のおかげだ。もし、いささかの発心もなかったら、俺などは、今ごろ、どうなっていたか知れぬ。けれど、俺は木曾殿がああいう亡滅をつげたので、流浪の身となったもやむを得ぬし、身の安住を求めながら心の安住も求めてついに仏門に辿(たど)りついたのだが、熊谷殿などは、俺とは比較にならぬほどの武功もあり、時めく鎌倉の幕臣として、これから大名(だいみょう)暮しもできる身を、どうして、武門を捨ててしまわれたのか。俺には少しわかる気もするが、世間の者はふしぎに思おう」

「それが一向、ふしぎでも何でもないのだ。今考えても、こうなるのが当然だった」

「そうかなあ」

「考えてみるがいい。功名に燃え、野望に燃え、物質の満足を最大な人間の行く先と夢みていたころなら知らず、年齢(よわい)をかさね、泰平に帰って、よくよく落着いて自己のまわりを考えてみると、そこには、修羅の声や、血なまぐさい死骸の山こそ失(な)くなったが、依然として、功利を争う餓鬼(がき)のような犬は絶えない。橘詐(きっさ)や権謀(けんぼう)や、あらゆる醜い争闘は、むしろ、血の巷(ちまた)よりは陰険でそして惨(さん)鼻(び)だ。

そういう仲間にいれば、自分もまた、生涯その醜い争いに憂(うき)身(み)をやつしていなければ、たちまち、他から陥(おと)しいれられてしまう。どうして、そういう所に、人間の安住があろうか。

――かたがた、過去の罪業のおそろしさや、世(せ)観(かん)の一転が、地位名誉をかなぐり捨てさせて、自分をこの吉水の上人の名を慕わせてきたのじゃ。なんの不思議もない。自然の歩みだった」

*「橘詐(きっさ)」=いつわること。