小説・親鸞 2014年12月1日

「オオ寒!」

風の子のように、冬の月の下を白河の河原へ駈け下りてきた足の迅(はや)い人影がある。

子どもでもなし、大人とも思えない、矮小(わいしょう)で脚の短い男だった。

頭の毛を、河童(かっぱ)のように、残ばらに風に吹かせて

「こん夜は、貧乏籤(くじ)を引いちゃったぞ、仲間の奴らは、さだめし今ごろは、暖まっているにちげえねえ」

洛内のどこかへ、急な用でもいいつけられて行ってきた帰りか、それは、天城(あまぎの)四郎の手下のうちでも、一目でわかる例の蜘蛛(くも)太(た)。

河鹿が跳ぶように、石から石へと、白河の流れを、足も濡らさずに渡り越えて、神楽(かぐらが)岡(おか)をのぼりかけたが、

「おや?」と、立ちどまって耳をたてている――

「琵琶の音がするぜ。はてな、こんな所に邸(やしき)はなし……」

ふと見下ろすと、赤松の林の中に、ポチとかすかな灯があった。

琵琶の上手下手を聞きわける耳のない蜘蛛太でも、足をしばられたように聴き(き)恍(ほ)れていた。

「誰だろう?」

好奇心も手伝って、――またその妙な音色にも釣られて――蜘蛛太は坂の途中から熊笹(くまざさ)の崖(がけ)を降りていた。

やがて出(いず)るや秋の夜の

秋の夜の

月毛の駒よ心して

雲井にかけた時の間も

急ぐ心の行(ゆく)衛(え)かな

秋や恨むる恋のうき

何をかくねる女郎花(おみなえし)

我もうき世のさがの身ぞ

人に語るな

この有様も恥かしや

「小(こ)督(ごう)だな」

平曲(へいきょく)はちかごろ流行(はや)っているので蜘蛛太にも、それだけわかった。

忍び足して、裏の水屋の隙(すき)間(ま)からのぞいてみた。

ぬるい煙が顔を撫でる。

炉ばたには黙然と首をうなだれて聞き入っている人があるし、一人はやや離れて琵琶を弾じている。

主客ともに四絃の発しる音に魂を溶けこませて、何もかも忘れているらしい姿が火に赤々と映し出されている。

「や?……叡山(えいざん)にいた範宴だ、法(ほう)然(ねん)のところにかくれて、綽空と名をかえたと聞いたが、こんな所(とこ)に住んでいたのか」

蜘蛛太は、拾い物でもしたようにつぶやいて、そのとたんに、琵琶の音などは頭から、掻き消えていた。

「頭領(かしら)も、知らないに違いない。こいつはまた、一杯飲める」

松林を駆けぬけると、近(この)衛(え)坂(ざか)の崖へつかまって、むささびのように迅(はし)こく登っていった。