小説・親鸞 去来篇 2015年1月10日

父の禅閤(ぜんこう)は、日課のように、九条からこの西洞院の別荘へよく通っていた。

そして、奥へ通ると、

「今日はどんな様子じゃな」と、まず声をひそめて、薬湯(くすり)のにおいの中に寂(しん)としてかしこまっている侍女(かしずき)のものに訊くのが例であった。

昼も妻戸をほのぐらく垂れこめて、青(せい)金(きん)の砂(すな)子(ご)のみが妖美(あやし)く光るふすまの隅に、薬湯(くすり)の番をしている侍女(かしずき)たちも、そこを隔てた姫の部屋を憚(はばか)るようにして、低声(こごえ)に答えるのであった。

「ゆうべは、常になく、ようお寝みあそばしました」

「……眠れたか」

父の君は、それだけのことでもほっとしたように眉をひらく。

「食べ物は……」

「お食は、どうもまだ」

「すすまぬか」と、顔が曇る。

――やがて姫の病間に入ってゆくと、そこもまた、春の訪れをかたく拒(こば)んで、昼も蔀(しとみ)をおろし、鏡は袋に、臙脂(べに)皿(ざら)や櫛は筥(はこ)のうちに深く潜(ひそ)められたまま、几(き)帳(ちょう)の蔭に、春はこれからのうら若い佳人が、黒髪のなかに珠の容貌(かお)を埋めて、もう幾月かを病に臥(ふ)しているのだった。

「どうじゃな」

父の禅閤は、そういって、姫のそばに坐る。

姫は、眸で、

(え、え……)うなずいてみせるが、何ということばもなく、そのまま、眼(まなこ)をとじて、黙ってしまう。

閉じている姫の瞼(まぶた)が、すぐ泪(なみだ)をつつんでしまうことが父にはわかる。

不(ふ)愍(びん)――とすぐ思うのでもあったし、また、

(困ったものだ)という嘆息(ためいき)もつい出てくる。

いったい禅閤の君は、まだ法体(ほったい)にならぬまえは――月輪関白兼(かね)実(ざね)として朝(ちょう)廟(びょう)の政治に明け暮れしていたころは、非常に気も昂(たか)く強く、七人もいる息女(むすめ)たちのことにでも屈託(くったく)などしたことのない性格であったが、いつの年であったか、最愛の長男が不慮の死をとげたり、また、政敵のために廟堂(びょうどう)から職をひく身になったり、いろいろ晩年の境遇が変ってくるにつれ、その人生観にも大きな変化がきて、禅閤という一法体になってからは、すっかり性格までが柔かになって、子にもひどく甘くなってきて、自分でも、

(わしは子煩悩でならぬ)と、人にも語るほどだった。

わけても玉日は、いちばんの末娘ではあり、他の姉はみな嫁(とつ)ぐべき所を得ているのに、この姫(むすめ)だけが、とかく幾ら縁談があっても、

(まだ――)とか、

(あの一族の家(とこ)では)とか、容易に嫁ぐといわないでもう世間なみからいえば、遅い婚期になっているのでもあるが、せめてこの姫(むすめ)一人だけは、老(お)いの身の側から離したくない気もするしで、盲愛といってもよいほど、父の禅閤の君は、この姫が可憐(いじら)しくて可愛くてならないのであった。