小説・親鸞 去来篇 2015年1月13日

「なんぞ、食べとうないか」父の君が、やがていう。

姫は、水(みず)藻(も)の中の月のような白い顔と黒髪とを、かすかに、横に振るだけである。

「食べんでは、人間、生きておられぬぞ」

「…………」

「若い身で、なんじゃ」

そっと――病人の感傷に気がねしつつ――叱るのである。

「女(おな)子(ご)の楽しみ、人と生れたよろこび、すべての春は、これからではないか」

「…………」

「気をとりなおして、すこし、食べたい物でも考えたがよい。医薬士(くすし)もいうた、お汝(まえ)のからだには、どこというて、病はないのじゃと。ただ、心がわずろうているのじゃと」

姫は、じっと睫(まつ)毛(げ)に白(しら)珠(たま)をためながら、

「でも、お父さま……」何かいおうとしたが、

「すみません」と、ただ微(かす)かに詫びる。

「すむも、すまぬもない。そんな気づかいがそもそもわるい。そうじゃ、もうこの別荘の梅林も、きょうあたりはだいぶ綻(ほころ)びていよう、そこの蔀(しとみ)を上げてみい。――万(まで)野(の)」

いたのかいないのかわからぬように、几(き)帳(ちょう)のうしろで、じっと俯(うつ)向(む)いていた万野は、その時はじめて、

「はい……」と返辞をして、

「姫(ひい)さま、すこし、戸外(おもて)の光を御覧あそばしますか」

身をのばして、姫の顔へ訊いた。

(嫌(いや)……)というように、姫は、よけいに沈んだ顔いろをみせ、さらにまた、父へ、

「わたくしは、どうしてこう不孝者に生れついたのでございましょう」

それから――よよと低くすすり泣くのであった。

禅閤は、なぐさめる言葉もなく、腕をこまぬいてしまった。

押し出されるように太い息が出るのであった。

姫のこういう状態が、何に原因しているかを、この父の君は、薄々知らないこともないのである。

――しかしそれは父(おや)子(こ)の仲でも口にのぼせない問題だった。

もし口にするならば、姫の状態をもっと悪くすることが分りきっているし、父としてのいうべき意見もいわなければならない――。

それが、禅閤はおそろしかった。

願わくは、姫が、何らかの動機でこのままその心そのものを解消するか、忘れてくれれば――と祈るのであったが、事実は、反対に、日と共に、姫の胸には、その病原がふかく蝕(く)い入ってゆくように思われる。

(何としたものか)ほとほと困りぬいているらしい父の禅閤の眉はまた、子をもつ親の苦悩を深刻に抉(えぐ)っていた。

と――次の室(へや)で、侍女(かしずき)が、

「万(まで)野(の)さま。ちょっと……」と、小声で呼ぶ。

「お医士ですか」

「いえ、お文状(ふみ)でございます――禅閤様へ」

「わしへ」

禅閤はふりむいて、この別荘へ、誰からの使いであろうかと疑った。

「そちらへ置け。今参る」

そういって、姫の枕元からそっと起ちあがった。

姫は、かすかに、弱い眸(ひとみ)で、その父の顔いろを枕からじっと仰いでいた。