朗読による法話『告知』(下旬)望んでたとおり

平成9年7月4日。

朝4時頃であった。

窓の外はいつしか白んできていた。

朝四時頃であった。

窓の外はいつしか白んできていた。

実家で待機していた子供たちを、義父母が連れてきてくれた。

その時は、少し呼吸が楽になっており、支えなくとも良かった。

育子は、子供たちの姿を見たはずなのに、何も言葉をかけなかった。

せん盲状態でまわりのことはわからないのだろう。

子供たちも、恐ろしいのか、少し離れてじっと事の成りゆきを見守っている。

幸い点滴内に入れていた催眠剤が効いてきたのか、眠ってくれている。

そのまま様子を見ることにした。

それでもときどき起きて、

「なんなの。どうして。どうして」と叫ぶ。

低酸素状態がそうさせるのであろう。

唇、爪が真黒である。

そのまま様子を見ているうちに、しばらくして育子は意識がなくなり眠ってしまった。

枕をひとつずつはずして完全に横にした。

何日ぶりのこの姿勢だろう。

私は子供たちに近づき、

「こわかったかい。こんなの見るの初めてだものね。でももうママはぐっすり眠ってしまったからね。息は苦しそうだけど寝ているから苦しくないんだ。もうじきにお別れだよ。天国に旅立っていくんだ。だからさようならを言いながら手を握っていてあげなさい」

私は育子が朦朧状態の時、子供たちにあえて声をかけさせなかった。

多分、子供たちを理解できないだろうと思ったからだ。

もし子供たちがママと声かけて、あなたたちはだれなのなどと言われたら、ものすごいショックだろうし、一生ママのことを誤解してしまう恐れがあったからだ。

お別れは家でもうしてきたではないか。

それで十分である。

あとは静かに見ていてあげればそれでよいのだ。

「みんな、あそこに器械があるだろう。あの器械に100って数字が見えるだろう。ほら今九0になった。あれがゼロになるまでしっかり手を握っていてあげようね」

と言って、心電図のモニターを説明した。

二、三時間は持つかとおもったが、脈拍の下がりは早かった。

亜希子と真理子はモニターの数字が気になって、育子の顔よりモニターばかり見ている。

真理子は育子から離れてモニターにしがみつくように見ていた。

そしてそれからしばらくして、育子はみんなに見守られながら静かに息を引き取った。

私は手を合わせ、そのあと子供たちを育子の枕元に呼び、一緒に頬を触り乱れた額の髪をとかしてやった。

そして、

「ママはね、みんなの幸せだけを願って頑張ってくれたんだよ。だから、ありがとうって心の中で言いなさい。そにて、いつまでもこのママのほっぺたのぬくもりを覚えておくんだ。これが最後の思い出だよ」

と言った。

子供たちは、前もって自宅でしっかりママとお別れしていたので、予想していたのだろう、涙は流しているが、静かに育子とお別れをした。

私が望んでいたとおりの静かな見送りができた。

真理子が小さな声で私に、

「ママはちゃんと天国に行ったの」

と聞いてきた。

「ああ、間違いなく天国に行ったよ。だから悲しまないでね。心配しなくていいんだよ」

私は優しく真理子に言った。

真理子も安心したのか、みんなと一緒に部屋を出ていった。

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※この育子さんという方はクリスチャンでしたので「天国」とか、あるいは「神さま」とかいう言葉が出てきますので、もしかすると違和感を覚えられた方もいらっしゃると思います。仏教徒の方は、「天国」は「お浄土」、「神さま」は「仏さま」と置き換えて味わっていただけば良いのではないでしょうか。