親鸞 2015年6月16日

「会わせろっ」

と、戸外(おもて)の声は吠えているのである。

「――いいや、そんなお座なりの対応に、欺(ぎ)瞞(まん)されて立ち帰るような吾々ではない。こう見えても叡山(えいざん)の大衆(だいしゅ)を代表して出向いておるのだぞ。善信をこれに出せっ」

それに対して、

「ただ今、師の御房は、旅先にあってこの草庵にはおりませぬ」

と、ひたすら陳弁(ちんべん)に努めているのは、性善坊であるらしい。

しかし、戸口に騒(ざわ)めいている四、五人の荒法師たちは、頑(がん)然(ぜん)と肩をいからせて、

「だまれっ、なんど同じことをくりかえさせるのだ。そんな甘(あま)手(て)にのって戻るような使者(つかい)か使者でないか、よう眼で見ろっ。貴様の云い訳は、きのうまでは通用したが、きょうはもうその手では吾々を追い返せぬぞ」

一人の怒号がやむと、また一人が、

「たしかに善信は今朝あたり立ち帰っておるはずだ。白河ですがたを見たという者がある」

「出せっ、どうしても出さぬとあれば、踏み込んで会うがどうじゃ」

いちいち祖の声は手にとるように奥へ響いてくる。

妻が、はっとしたように、眸をすくめているのを見て、善信は訊(たず)ねた。

「あの訪れは、誰か」

玉日は、自分の罪ででもあるように、

「――おゆるし下さいませ。お留守中の不(ふ)行届(ゆきとどき)から、あのように叡山の衆を怒らせたのでございます」

「どうして?」

「実は、かようでございます」

怪我(けが)人の実性(じっしょう)を匿(かくま)ってやったことから、その翌る日、彼を捕えにきた叡山の者を、太夫房覚明がひどく懲(こ)らして追い返したために、山門の荒法師たちが、それ以来毎日のようにああして狼藉(ろうぜき)に来るのですと、彼女は良人の前に詫びて話した。

「実性」と、善信は口のうちでいって、

「――その実性とは、あの吉水の上人のもとに仕えている若い学生(がくしょう)かの」

「はい、そのようでございまする」

「今はどこにおる」

「亡くなりました」

「え。――この草庵で」

「皆の者が、手をつくしてやったかいものう、二日ほどの大熱に、昏々(こんこん)と、うわ言をいいながら」

善信が沈黙して、ふと眉を曇らせたのは、その無意味な犠牲者に対して、心を傷(いた)めたばかりでなく、師(し)上人(しょうにん)の身に、やがての禍(わざわい)いがなんとなく予感されていたからであった。

叡山や、高雄や、南都の反念仏宗(はんねんぶつしゅう)のものが、こぞって法然を誹(ひ)謗(ぼう)し、吉水の瓦解を工作し、打倒念仏の呪(じゅ)詛(そ)が、一日ごとに昂(あが)っているという取り沙汰は、善信も旅のあいだに、眼にも見、耳にも聞いていたことであった。

だが、そういう反動は、いつか来るものと、これは自分よりも師の上人がよう知っておられる。

元より善信も、あえて、巷の風評に、にわかな驚きはしなかった。

――けれど、今、戸外に呶鳴っている法師たちの悪(あく)罵(ば)には、時こそよけれと、いい機会をつかまえて襲(よ)せてきたらしい気(け)色(しき)が濃厚である。

(……困ったことを)

誰のことよりも先に、彼は、師の上人への禍いを気づかうのであった。

静かに立ち上がって、

「わしが会おう」

歩み出してゆく良人を見て、玉日は顔いろを失った。

覚明に懲(こ)らされて復讐に来た山門の法師たちのいかに獰猛(どうもう)であるかを知っているからである。