今回は中国について考えたみたいと思います。

日本の隣国、中国や韓国などにおいては「反日教育が行われている」と報じられていますが、日本ではことさら「反韓・反中」的な教育を行ってはいません。

なぜ、日本では「反韓・反中」教育を行っていないのに、韓国や中国では学校で「反日(歴史)教育」が行われているのでしょうか。

このことについて、前回は朝鮮半島の国家について考えてみたので、今回は中国について考えたみたいと思います。

結論からいうと、中国においても歴史は意図的に書き換えられています。

太平洋戦争中、中国では「国共合作」といって、それまで国内で争っていた中国国民党と中国共産党が協力して日本軍と戦うことになりました。

けれども、その実態は国民党軍が主体的に日本軍と戦い、共産党軍は、国民党と日本軍を戦わせ両方が弱体化することを図り、漁夫の利を得ようとする戦略をとっていました。

したがって、実際に日本軍と戦ったのは主に国民党軍で、その間に中国共産党軍は非戦闘地域で勢力を伸ばし兵力を増強することに努めていました。

やがて、太平洋戦争が終わると、国共合作の意義も名目もなくなったことから、中国では再び国民党と共産党による内戦が始まりました。

中国共産党軍は、中国の東北に侵入したソ連軍の支援を受け、徐々に南下して国民党軍を圧迫しました。

国民党軍は、日本軍との戦いで消耗していたこともあり、共産党軍に敗れて台湾に移駐し、中国では中華人民共和国が成立しました。

このように、中華人民共和国とは、共産党が国民党に勝って築いた国で、国民の選挙を経て民主的に成立した国ではありません。

言い換えると、政治的正統性がないいま成立したのです。

そこで、中国共産党は、日本軍と戦い人びとを「解放した」ということに自らの政治的正統性を求めることにしました。

そして「日本軍と戦い、侵略を阻止して、中国の人びとを圧政から救ったのは中国共産党である」という歴史を作り、人びとにそれを教え込みました。

これが、そのまま「反日(歴史)教育」になっているという訳です。

日本では周知のことですが、中国では国内で民主化の運動が起こるなど共産党支配が揺らぐと、その度に国民の目を国外に向けようとして反日キャンペーンが行われます。

その結果、反日デモでは「国を愛することはから行われる蛮行に罪はない」という意味の「愛国無罪」が主張され、2005年のデモの際にはこの言葉に乗じて犯罪行為も見られました。

この時、日本政府が厳しく抗議したこともあり、中国政府(共産党政権)がデモを厳しく取り締まったため、以後あまり過激なデモは発生しなくなりました。

けれども、2012年の尖閣諸島国有化決定の際は、一部が暴徒化し、日系企業襲撃・放火、さらには日本人襲撃や大使国旗の強奪まで起きました。

反日キャンペーンの度に「日本は中国に侵略して暴虐の限りを尽くしたが、その悪逆の日本と戦って撃退し、人びとを解放したのは共産党だということを忘れてはいけない」と懸命にアピールしてきた結果、過激な反日デモが発生し、さらには暴徒化したともいえますが、常に「国民の不満やデモの矛先が自分たちに向かないように」と腐心している中国共産党にとっては、対応に苦慮するところだと思われます。

ところで、これまで中国でつくられた公式の歴史では、日中戦争における国民党軍の存在感は極めて希薄でした。

なぜなら、事実のままを著すと「日本から中国の人びとを解放したのは共産党だ」という歴史教育と矛盾してしまうからです。

ところが、最近になって、中国は長らく対立関係にあった国民党が移駐して作った台湾政府との関係に配慮するようになりました。

台湾は、一時、民主進歩党(民進党)政権でしたが、現在はまた国民党政権になっています。

中国は、台湾との関係を改善し、将来的には中国に取り込もうと考えています。

そこで、これまで避けてきた日中戦争時の国民党軍の戦いについて評価をするようになり、国民党軍が日本と正面から戦ったということをある程度認めるようになってきました。

つまり、台湾を中国の一部に取り込もうという明確な政治的意図によって、歴史の見直しを行い始めているという訳です。

このような意味で、歴史とは勝者が描いたものであると同時に、その時どきの政治情勢や為政者の都合によって、見直されたり書き換えられたりするものだということが知られます。

ただし、以前は勝者の歴史だけが記述され、その視点から描かれた歴史書しか後の世には伝えられませんでしたが、現代ではさまざまな証言や史料を科学的・実証的に分析することによって、歴史の見直しも行われるようになってきました。

これまでの歴史は、ある意味ではとても単純なものばかりで、勝った者が記録を残し、負けた者の記録は残りませんでした。

私たちが学校の授業で習ったのは、このような歴史の一面だけだといえます。

敗者の側から見直したり、あるいは日本の歴史は宗教的な面からとらえる視点が欠落しているとの指摘もあったりします。

NHKの大河ドラマは、現在幕末期を長州の側から描いていますが、数年前は対立する会津の側から描いていました。

同じ出来事であっても、双方の側から別々に描くことでいろいろな事柄が見えてきます。

さて…、韓国や中国における日本に関する歴史記述内容も、日本との関係が改善されれば、やがて書き換えられる日がくるのでしょうか。

是非、そうなることを期待したいものです。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。