親鸞 あの灯(ひ)・この灯 2015年9月1日

もう暑い夏の陽ざしは、山ふところの樹々にうすずいていた。

蝉の音は、ひぐらしの啼く声にかわっていた。

ひろい御堂の内は、いっぱいの人間(ひと)のすがたで暗かった――が、それほどな人がいようとも見えないほど、静かであった。

壇に坐して、法然上人は、先刻からおよそ一刻半(いっときはん)も法話をつづけている――。

その声だけが、しいんとしている衆生のうえに、強く、低く、流るるように、また、訥々(とつとつ)として、際限のない底力をもって迫っているのが聞えているだけであった。

(お弱そうだ、近ごろは――)

(あのお体で、よく、あんな声がな――)と、人々は、話のとぎれるごとに、ほっと息をつきながら、法然のすがたを見入るのであった。

もう彼は七十四歳であった。

誰にも気づくほど、近ごろは、痩せが見えているが、ただ、あの茶いろをした眸(ひとみ)だけが、炯々(けいけい)として、相変わらず光っている。

そのうえに、繭(まゆ)を植えたような白雪の眉がある。

身には、麻のうす茶の袈裟をかけておられた。

――初め、そこに坐って、

「きょうは、出家功徳経(くどくきょう)の一部を話しましょう」と、くだけた優しいことばで話にかかり出した時、左右から、二人の弟子が、大きな団扇(うちわ)を持って、師の袂(たもと)をあおぎかけたが、

「いらぬ……」軽く首を振られたので、

「は」と、恐縮して退(さ)がった。

それから、清水で巾(きん)をしぼって、そっと、側へすすめたり、煎(い)り麦のさまし湯を上げたりしたが、長話のうち、一度も手にしなかった。

聴く人々の眼が、貪(むさぼ)るように熱心なので、上人も、自分の体力とか、健康とかを、まったく忘れてしまっているらしいのである。

弟子たちは、蔭で、

(ご無理ではないか)はらはらしていたが、止めようもないのであった。

出家功徳経のはなしは今、釈尊が、毘舎離国(びしゃりこく)に入って、弟子の阿難(あなん)と共に、その国の王子の生活ぶりをながめて、嘆いている――という例話に入っていた。

「ちょうど、食事の時刻でした。

毘舎離国の城へ参って、仏(ぶつ)は、食を乞われました。

城中には、一王子があって、名を勇軍(ゆうぐん)と呼ぶ者です。

――仏が来たと。

あの有名な釈迦が来たのか。

勇軍は、仏に食を乞われたのは、わが家の誇りだと思ったのでしょう。

こういうと、みずから出迎えて、

――どうぞ。

と、豪奢(ごうしゃ)をこらした城内の一室へ迎え入れたのです。

多くの、後宮の女には、粉黛(ふんたい)をさせ、珠をかざらせ、楽(がく)を奏し、盤(ばん)には、山海の珍味を盛って。

仏は、たのしまない顔つきでした。

食物も多くは摂(と)りません。

さらに、夜に入ると、王子勇軍は、不夜の楼殿に百石(こく)の油を燈(とも)して、歓楽、暁を知らないありさまです。

彼と、彼をめぐる後宮の女性(にょしょう)たちの生活をながめて、仏は、翌日、弟子の阿難を招いて、こう告げたのであります」

「…………」

松虫と鈴虫の二人は、自分のことでも話されているように、じっと、上人のほうへ眸を向けていた。

もちろん、上人の眸は、彼女たちがそこにあるとも無いとも知ろうはずはない。

――ただここに集まっている衆生(しゅじょう)とひろい実社会の現状だけが、彼の対象であった。