老病死から学ぶ仏教(上旬)先人から出たパスを心と体でキャッチする

ご講師:釈徹宗さん(相愛大学教授・浄土真宗本願寺派如来寺住職・NPOリライフ代表)

平成26年、広島の安佐地区で大きな土砂災害が発生しました。

ここは昔、「蛇落地悪谷(じゃらくじあしたに)」と呼ばれていたところで、急な谷が入り組んだ場所です。

そんな土地ですが、車で30分ほどで広島の中心地に行ける場所なので、高度成長期に住宅が次々と開発されていきました。

もともと「蛇も落ちるような良くない谷」って名前がついているような所です。

あまり住むには適していない場所だったと思います。

でも、開発したらやはり可愛いイメージの名前をつけます。

「ひがりが丘ニュータウン」とか、「つつじが丘谷」とか。

そして、昔から地名が消えました。

昔の地名か消えるというのは結構あって、東日本大震災の起こった場所でも問題になりました。

大きな津波がきた場所を調べてみると、昔は「波よけ神社」とか「導き地蔵」とかあり、ここから先は家を建てない方がよいというような意味の伝承があったのです。

これらは、地名に残された「先人たちからのパス」「先人の知恵」です。

先人が「ここで暮らすなら気をつけないさい」とか「無茶なことをしてはいけませんよ」というパスを出してくれていたのです。

私たちは、この先人から出たパスをちゃんとキャッチする心と体を持つことが大事なのです。

社会も我々と同様に加齢を重ねて、歳をとっていきます。

我々の社会も、すごくアクティブな青年期を過ぎて、あきらかに成熟期に入っています。

ですから、価値観も変われば態度も変えていかなければいけないという面があります。

この成熟期の態度の一つとして「先人の知恵に耳を傾ける、目を凝らす」というのが大事だと思います。

その先人のパスをちゃんとキッャチして、次世代へ心のこもった丁寧なパスを出していくということが、今を生きる我々の使命ではないかと考えます。

私のためにしてくださったことをインド仏教の言葉で「カタンニュー」といいます。

日本では「恩」と訳されています。

「恩」という字のポイントは「印」です。

敷物の上に人間が大きく両手両足を広げて恵みや慈しみを受けている姿に由来しているそうです。

パスをしっかりキャッチすることを仏教の言葉で「知恩」といいます。

そして、キャッチして次世代に丁寧なパスを出すことを「知恩報徳」あるいは「知恩報謝」といいます。

「徳」はまわりに与える良い影響という意味です。

「恩」とか「徳」についてお話しますと、御門徒の方は「恩徳讃」を連想されると思います。

「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし師主知識の恩徳も骨を砕きても謝すべし」という親鸞聖人が書かれた歌です。

恩も徳も仏さまからの恵みであり慈しみであると受け止めるところが浄土真宗の特徴です。

如来大悲の恩徳は、自分の身を粉にするような、そんな思いでしっかり受け止めましょうということです。

そして「師主知識」です。

「師主」とはお釈迦さまのこと。

「知識」は私に教えをつなげてくださった先人たちのことです。

親鸞聖人にとっては、まさに『正信偈』に出てくる七高僧にあたります。

この人たちがパスをつないできてくれた。

誰か一人でも途中でやめたら止まります。

何千年も続いたパスでも、ある時代の人がそこでパスするのを止めたら一瞬で止まります。

パスにパスをつないで、自分のところまで届いたのだから、喜ばずにおられない、感謝せずにはおられないということで「骨を砕きても」という、強い表現になるのだろうと思います。