親鸞・氷雪編 日野善信(ひのよしのぶ) 2016年1月22日

花明りであろう、ほのかに廂(ひさし)の外は白い。

音もなく、まだ人声もなく、ただ微(かす)かにうごく花の香のうちに、暁は近づいている。

「……吉水の上人には、はや今ごろは」

善信は、持仏堂を出て、縁に立った。

未明の空を仰ぎながら、ふとつぶやいて、憮然となった。

「…………」

遠心的に、彼のひとみは、今朝、都を離れてゆく上人の前途をそこから見送った。

――と共に、自分もこれから間もなく、この岡崎の草庵から、雪の越路へ立って行かなければならない身であることを思う。

乳のみ児の世話や――配所へ送られる良人への心遣(や)りに――妻の玉日の前は、ゆうべは、一睡もしなかったはずである。

だのに――せまい厨(くりや)のほうでは、もう貧しい燈(ひ)をともして、彼女が、乳のみ児の房丸が眠りからさめない間にと――朝餉の支度をしているらしい。

陶器(うつわ)ものを洗う音やら、炊(かし)ぎの支度する気配が、静かに、そこで聞えた。

もうこのごろは、水仕業(みずしごと)に馴れているとはいっても、月輪の前関白家に生れて、まったく深窓にそだった彼女が――と思うと、

(不愍な)と、ふと、あたりまえな人間のもだえるような悶えを、善信も感じずにはいられなかった。

――と、草庵の外に、二つの人影が、跫音をひそめて近づいて来たかと思うと、

「師の房ではござりませぬか」

と、声をかけて、縁先の大地に、ひたと両手をつかえた。

見るとそれは、今は東塔の無動寺にいる木幡民部と、性善坊の二人だった。

「おう」善信の顔に、微笑が泛(う)いた。

刻々と明るんでくる夜明けの光が、彼の顔からすがたを見ているうちに鮮やかにしてきた。

「久しいのう。……それにしても、勅勘(ちょっかん)の流人が門出(かどで)へ、よう参ることができたの」

「月輪の老公が、さまざまなおとりなしによって」

「では、舅様(しゅうと)にも」

「今朝、吉水の上人をお見送り申しあげて後――すぐこちらへお越しあそばされるはずでござります」

ところへまた、太夫房覚明もみえ、そのほか、十名ほどの近親の人々が、それだけと、人数を制限された上で、この草庵へ別離を惜しみに集まってきた。

室には、妻の玉日が手ずからした名残の膳が、もう整えられてあった。

善信を上座にして、近親の人々が、さびしいうちにも、なにか、爽やかな潔い心地にも打たれて、その膳についていながれた。

すこしも、不吉らしい、不安らしいものは、人々の胸になかった。

――なぜならば、善信は今日の出立を、

(御仏の命のもとに出て向く晴れの聖使――)と、願うてもない幸いと考えているのであるし、裏方の玉日も、

(良人は、辺土の北国へ、念仏をひろめ賜うために立って今日は教化(きょうげ)の旅の門出――)と信じているので、そこに悲惨らしい影や、流人的な傷心(いた)みとか悶えなどは、見られないからであった。

白々と、朝の光は、ほっとした人々の面(おもて)に、明るさを加えてくる。

玉日も、髪を櫛けずって、房丸を抱いて、良人のそばへ、給仕に坐った。

――と、生信房が、

「月輪の老公が、お見え遊ばされました」

と、次室(つぎ)から知らせた。