親鸞 2016年2月10日

教順房の声なのである。

何事かと驚いて、人々が出てみると、その教順房と共に托鉢に出た生信房が、どうしたのか、両手で顔をおさえたまま、友の脇に抱えられて、よろよろと、縁端(えんばた)へ来て、俯伏(うつぶ)した。

「あっ、どうなされたっ、生信房どの」

人々が、騒ぎ立てると、

「しっ……静かにしてくれ。……師の房のお耳に入る、……静かに」

と、生信房は、血しおで真っ赤になった手を振って、またそこへ俯伏してしまう。

「水を――」

「生信房どの、水をおあがりなさい」

取り囲んでいたわる法(のり)の友たちの背へ、粉雪が、さやさやと光って降りそそいでいる。

ある者は、薬をさがし、ある者は布を裂いて、彼の額の血しおを拭いてやる。

「ひどい傷だ。――一体こらはどうなされたのです」

「な、なに……大したことはありません。戻る途中、滑川(なめりがわ)の崖で転んで、石で打ったのだ」

生信房は、いぶかる人々へ、こう打ち消して、暗い部屋の中へ、苦しげに這いこんだ。

傷口へ寒風を入れてはいけないと気遣って、人々は、筵(むしろ)や破れ屏風をもってきて、そのまわりを囲んだ。

――やや風がやむと共に、雪もすぐやんで、今までの空もようは嘘みたいに霽(は)れてきた。

裏日本の海が、松の森と山鼻のあいだに、染め出したように鮮明に見えてきたのは、どこかに、月が出ているからであろう。

「……有難い、やっと、風がやんだらしい」

ほっとして、人々は、燈火(ともしび)を点けるのをわすれて、白い月明りに、夜の静寂(しじま)を見まもっていた。

――と、奥の師の房の一室で、善信の声がひびいた。

「誰か、いますか」

「はい」

「よい月夜になったらしい。この垂薦(たれごも)を揚げて賜もらぬか」

「はっ……」

生信房の枕元に坐っていた石念が立ち上がって、そこへすすんだ。

「これでよろしゅうございますか」

「おお……それでよい。……まことに今宵は、後(のち)の月ではないか。都の今ごろとは、大きな相違。……この冴えた月に、もう初雪がこぼれてくるとは」

「なにかにつけ、都におわした日ごろのことが、思い出されましょう」

「なんの――都の秋には都の趣(おもむき)があれば――越路の秋には越路の風物がある。――自然と共に生きんとすれば、人間はおる所に楽しめるものじゃ」

「ご書見でござりましたか」

「む……書を読んでいるうちのたのしさはかくべつ。没我、無我、身なく、古今なく、思わず長い夜も忘れる」

「お燈(あかり)が持ちませぬので、さだめし、読書にも暗うて、ご難儀でござりましたでしょう」

「いや、この真如の月と、この雪明りとに向えば、盲心も、眼(まなこ)をひらく心地がする」

「夕のお斎(とき)をさしあげましょうか」

「そうそう、忘れていた、わしはまだ夕餉(ゆうげ)をいただいていなかったの。――生信房や教順はもう托鉢からもどられたかの?」

*「後の月(のちのつき)」=旧の八月十五日の月に対して、旧の九月十三日の名月。閏月(うるうづき)のこともいう。