「医療現場で求められる仏教」(1)仏教は医療以上に人間を救う

ご講師:田畑正久さん(佐藤第二病院・院長、龍谷大学教授)

私は、医療と仏教の両方に学生時代から関わっておりますが、最初の頃は、医療と仏教は別々のことだと思っていました。

医療は医療の仕事をして、仏教は生き方の問題だと考えていました。

埼玉医大に、禅宗のお坊さんで哲学の教授の秋月龍?という方がいらっしゃって、医学部の学生さんたちに言われたそうです。

「みなさん方がこれから医療の世界で仕事をするということは、人間が生まれて生きていく上で、必ず老いて、病気で死ぬという、この生老病死の課題に取り組むということです。仏教もそのことに取り組み、二千数百年の歴史があり、生死を超えるという方向性を見いだしています。同じことを課題とするわけですから、医療に携わる方々には、ぜひとも仏教的素養というのを持ってほしい」

と、ずっと語ってこられたと知りました。

医療と仏教の学びというのは、同じことであると教示していただき、私は非常に勇気づけられました。

そして、医師など医療に関わる方々には大変申し訳ないのですが、仏教には医療以上に人間を救う世界があるという思いを強くしております。

私たち医師は、人が老病死につかまれば、病気がよくなるように治療しますが、けれども結局は誰もが死亡します。

医療の現実というのは、死を5年ないし7年ほど先送りする。

先送りでしかないのだと実感せざるを得ません。

しかし、仏教を学ぶと「生死を超える道」に出会うことができるのです。

ある年老いた患者さんから、このように言われたことがあります。

「先生、私なんか役に立たん。みんなに迷惑をかける。本当なら姥捨山(うばすてやま)に捨てられてもいいのに」と。

これは、現代的にいえば、廃品ということになります。

約30年前に、フランスの哲学者ボーヴォワールは言っています。

「人生の最後15年、20年を廃品と思わせるような文明は挫折している」と。

「役に立たない、迷惑をかける、と言って、人に肩身の狭い思いをさせるような文化というのは未熟な文化である」と。

浄土真宗のお念仏の教えをいただくと、どうなるかといえば

「人間に生まれてよかった。生きてきてよかった。お任せします」

と言って、行ききって生ける道が開かれるのです。

人は、誰もみな「幸せになりたい」と思います。

そのために幸せのためのプラス条件をできるだけ増やし、マイナス条件をできるだけ減らしていく。

そうすれば、きっと幸せになれると考えるのです。

でも、マイナスのマイナスである「老病死」に直面したとき、それをどう受けとめていけばいいのかという方途ず見えないのです。

ただただ「つまらんことになった」と言いながら、老いて、病気で死ぬのであれば、幸せをめざしていながら、結果はまさに「不幸の完成」で人生を終えることになります。

世間的なものさしで言えばですが…。

でも、それを超える世界があるというのが「仏教の智慧」なのです。