「医療現場で求められる仏教」(2)「臨床宗教師」育成への取り組み

5年前から東北大学に「臨床宗教師」という、病院の中で働く宗教者を育てるコースが設けられています。

私が今仕事をしている龍谷大学でも、2年前から東北大学と提携して「臨床宗教師」を育てるコースを始めました。

この「臨床宗教師」というのは、日本ではほとんど聞き慣れない業種ですけれども、欧米では病院の中に「チャプレン」という職種で常駐しています。

人間の老病死という課題は医療だけでは解決がつかない、医療と宗教が協力することによって解決できるという考え方が世界の常識なのです。

かつて日本には、病院の中に宗教者がいませんでした。

「臨床宗教師が必要である」と言い始めたのは、東北で呼吸器外科医をされていた岡部健という先生です。

岡部先生は、ご自身がガンになったときに、こういう言い方をされています。

「日本の文化は、美味しいものを食べに行きましょう、きれいな所を見に行きましょうというような、明るい方向を向いた情報はあふれているけれども、確実に死が見えたときに、死にゆく者の道しるべがない。どういうふうに老病死を受け止め、生ききっていくかという文化がない。このことに愕然とした。やはり、宗教が大事だ。日本においては、やはり仏教だ」と。

そこで、「臨床宗教師」を育てる仕事を始められたのです。

ガン末期の患者さんのお世話をする緩和ケア病棟やホスピスなどで、鎮静剤を使って患者さんを穏やかにさせている割合を「鎮静率」といいますが、この鎮静率、欧米では10%位であるのに、日本では30%位ということです。

この20%の差は何でしょうか。

岡部先生は、著書『看取り先生の遺言』の中で、「この20%は、日本の医療現場に宗教者がいないがため」と述べておられます。

「なぜ私がこんな病気になったのか」とか「死んだらどうなっていくのだろうか」とか、そのような問題に答えてあげることができないのです。

医療では、老病死を「元の元気な状態に戻せ」ということを一生懸命やっています。

もちろん、よくなる病気は確実によくしてもらわなければなりません。

それにより、幾分か先送りはできます。

それでも、死というものは誰にも必ず訪れるのです。

それを医療現場でどのように患者さんに受け止めてもらうか、これが「臨床宗教師」の役割、大きな使命なのです。