親鸞 2016年3月4日

山吹は聞き入っていた。

あたたかい砂丘も陽なたは、彼女の寒々と硬(こわ)ばっていた暗い顔を、やや明るくしてきた。

「……では上人様、わたくしはあなた様に、どんなことを申しあげても、あなた様は、自分のことのように聞いてくださいますか」

すると親鸞はむしろ待っていたように、

「オオ、なんなと話されい」

「ありがとうございます、わたくしには、この胸にいっぱいな苦しみを、話す人さえこの世にないのでございました。――さびしい世の中、あるのは皆、私を呪う邪智の鬼や、羅刹ばかり……。それゆえ、死のうと思い決めたのでした」

「死ぬ……それはいつでもできることじゃ、まあその理(わけ)をいうてみなされ」

「醜い――恥かしい――それはもう上人様のまえで申すも面映ゆいことでござりますが、実は」

と、山吹は、坐っている海砂をますぐりながら――

「わたくしは元、京都の六条で、白拍子をしておりました。そのころこの国府の代官萩原年景によばれ越路へ来ぬか、国府の館へ来れば身の妻として、終生安穏に暮させてやろうにと、ことば甘くいわれましたので、後前(あとさき)の考えもなく年景について参りました。――ところが来てみると、年景には、妻子もあるばかりか、国府の住居(すまい)には、幾人もの側女がいて、その人々が、めいめい、年景の寵を争うので、嫉(そね)みぶかい女同士の争いが、絶えたこともございませぬ」

「そうか……」

親鸞は、領民たちの呪詛の声と、年景の生活のさまとを思いうかべて、うなずいた。

「――でも、この遠い国へ来ては、どうする術(すべ)もございません。幾年(いくとせ)かを忍んで参りました。けれど、忍ぶにも忍べない日がついに参りました。年景は、私に飽いて、酷くあたります、ほかの側女たちも手をたたいて事毎に告げ口する。あろうことかあるまいことか、年景の召使で、蜘蛛太という侏儒(こびと)と、わたくしが、不義をしているなどと云いふらすではございませぬか」

「蜘蛛太?」

と親鸞は小首をかしげた。

「お上人様など、ご存じある者ではございません。その侏儒の蜘蛛太という者は、わたくしが今日の六条にいたころから、よく町をうろついていた者で、主人を失って、路頭に迷っているので年景にたのんで、その越路へ来る折、雇い入れてもらった男なのでございます。

――ですから、蜘蛛太は、わたくしには親切にしてくれます、共に泣いたり心配してくれます。それがかえって悪かったので、あらぬ噂を立てられたのでございますが、気だてこそ、そんな可愛い所のある人でも、顔はおどけているし、背は四尺ぐらいしかない片輪者、なんでわたくしが不義などいたしましょう」

「およそわかった。それで、死のうとなされたのか」

「いッそ!……と口惜(くや)しまぎれに……」

山吹は、砂の上へ、打ち伏して泣いた。

「……かわいそうに、蜘蛛太は、わたしのために、仕置小屋に抛(ほう)りこまれて、これも、覚えのないことを、責め折檻(せっかん)されているそうでございます」