親鸞 2016年3月13日

側女たちは顔を見あわせた。

誰も黙りこんだまま答えずにいると、年景の額に、青筋が膨れあがった。

「だまっているところを見ると、誰も、彼女(あれ)の身を案じて、見に行った者はないのだな。――遺書(かきおき)をのこして、出て行った者を、おまえらは、笑って見ているのだな」

「…………」

「どいつも、こいつも、なんという薄情な奴ばかりだ。山吹は、もう死んでいるかもしれない」

年景は、こううめいて、自悶に耐えられぬように、

「――ああっ、彼女は、もう死んでいるかも知れない。おれは心から彼奴が憎いわけじゃなかった。あまえらがなんのかのと讒訴をするので、おれも疑いの目で見初めたのだ。山吹はおれを恨んで死んだに違いない」

また――ごろりと仰向けになる。

そして側女が出した杯を引ったくるように取った。

こういう場合の年景に、酒が入ることは、炎に油をそそぐようなものであることを、側女たちは常に知っているので、めいめい、眸(ひとみ)のそこに、おどおどと戦慄を持っていた。

「つげッ」

と、飲みほした杯をつき出すので、ひとりがこわごわ、銚子を近づけると、

「この、おべんちゃら」

ついだ酒を、その側女の顔へ、浴びせかけた。

杯はまたすぐ、べつな側女の顔へ、独楽(こま)みたいに飛んで行った。

「この毒草め、どいつもこいつも、皆、毒の花だ。みすみす、おまえたちと朝夕ひとつに暮らしていた山吹が、遺書して出て行ったのに、のめのめ身ごろしにするという法があるか。なぜ手分けして、探しに行くなり、召使たちを走らせて、心配しないか。

――気に喰わない奴らだ。薄情者めが、よくもそうしゃあしゃあした面(つら)ばかりが揃ったものだ。」

と、年景はまるで、この不愉快な事件が、すべて他人(ひと)のせいであるように罵って、

「出て行けっ」

と、部屋を揺るがすような声でわめいた。

「きょう限り、みんな暇をくれる。誰の彼のといわず、一人残らず出て行けっ。女など、世間に降るほどある。年景はもう実をいえば、貴さまたちには、あきあきしている所だ。そこへ持ってきて、貴さまたちの醜い冷酷な根性を見せつけられては、なおさら、嫌になってしまった」

手がつけられない怒り方である。

理窟ではない、これが年景の遊びなのだ、何事も意のままになり過ぎて、これくらいな刺戟を起さないと、年景の気だるい神経はなぐさまないのである。

それまた初まったというように、側女たちは、隅のほうへ避けて蒼白いおののきを集めていた。

年景は、銚子をつかんで、

「出て行けっ」

と、それへ投げつけた。

すると、家の外である。

廂(ひさし)を蔽(おお)って、ずっと聳(そび)えている大きな樹のうえで、誰か、年景の口真似をしたものがある。

「そうだ、出て行け!」

年景が気づかずに、

「出て行かんかっ」

と、身を起たせて、足蹴に形を示すとまた、

「――出て行かんかっ」

と、谺(こだま)のように、樹のうえから同じ声がした。

「……や、どいつじゃ」

縁へ出て、年景がこずえを仰ぐと、老人が子供か、見当のつかない顔した怪異な小男が、葉陰に白い歯を剥(む)いてわらっていた。