親鸞 2016年6月7日

「どうじゃ盛綱どの……いや光実御房。生れかわった気がするじゃろうが」

四、五日たって、西仏は新しくここに加わった佐々木三郎盛綱の光実にこう話しかけた。

「ありがたい、ただありがたさで、今は胸がいっぱいだ」

と、光実は心からいった。

「どうして今までおれは、あんな絆に惑ったり悶えたりしていたのか、ふしぎでならない」

「そこが、俗世間だ、濁流の中に住んでいるうちは、濁流から出る道もわからない」

「そればかりか、上人から聞かされる一語一語が、いままで、鎌倉の将軍家から貰った武功の恩賞より身に沁みてうれしい。

――頼朝がおれに与えたものは、皆自己のわけ前であり、自己のため以外のものでなかった。

――然るに上人は何もご自身に求めるのではない、あのお眸(め)に映るすべての者を、ひとしく倖せにしてやろうというほかに、他意はない。

――またこの御庵室のなごやかな朝夕を見ても、なぜ今まで、あのように刃と鉄と人馬で囲んでも、枕を高くして寝られない所領や城にかじりついて生きてきたのかと、初めて、無明(むみょう)の闇から出てきたように思う」

「おそいぞおそいぞ、今ごろ、さようなことに気づいて、この西仏などは――」

と、西仏は自分が発心したことの早さを、快活に自慢したが、

「はははは、それは、おぬしの大将の木曾殿が早く滅び、おぬしも志を武門ね得なかったからではないか」

と、盛綱に反駁されて、

「や、いかにも、そのせいも幾分かあるな。あはははは」

と、哄笑した。

夜になると、

「馴れぬうちは淋しかろ、田舎酒でも温めようか」

と、西仏は飽くまで共に親切であった。

炉を囲んで、初秋の夜の静心(しずごころ)をたのしみ、

「――時に、いつか訊こう訊こうと思っていたが、ご舎弟の四郎高綱どのは、近ごろ、どうしているな?」

「さ……久しゅう相もせぬが、世上の沙汰では、やはりこの兄同様に、怏々として楽しまずに暮しているらしい」

「備前児島の城へ当てて、この春ごろだったか、手紙を出してみたが、何の便りも返ってこぬ」

「あれの一徹にも困る、わるくすると、この兄とは逆に行って、鎌倉どのへ、忿懣の矢を引きかねぬ男でな」

「さ……そういう噂を世間でちらと耳にしたので、万一の事でもあってはと、昔なじみの誼(よし)みで、この西仏が胸を打ち割って存分なこと認(したた)めてやったのだが……あの利かぬ気の四郎高綱、手紙を見て立腹し、引き裂いてしもうたかも知れんな」

「――いや、烈しい一徹ではあるが、心の底には情誼(じょうぎ)にふかい所もある弟――というと弟自慢になるが、旧友の気もちが分らぬような男ではない」

「では、何かの都合で、返事を忘れてござるのかな」

「書けんのじゃろう、気持を偽れない質(たち)なので。……だが、何事もなくてくれればよいが」

わるいことをいい出したと西仏は軽く悔いた。

弟思いの光実は、うつ向いて、遠く弟四郎高綱の児島の城を案じているらしい。

六十歳になっても、骨肉の情愛はすこしも幼少の時と変っていなかった。

「……さ、温まったぞ、もう一杯過ごさぬか」

もう秋くさが秋風の戸を撫でて戸外は雨かのような虫の声だった。

*「無明(むみょう)」=仏教で、真理を理解できない状態。煩悩にとらわれているようす。

*「静心(しずごころ)」=静かな心。落ちついた気持ち。「―――静心なく花の散るらむ」などという。