『報恩講 親鸞さまに遇えてよかった』(後期) 

  大切な方を偲ばせていただく行事といえば、「ご法事・お盆・お彼岸」が身近に聞かれる行事ではないでしょうか。

 浄土真宗の行事はいくつかありますが、その中でも重要な行事の一つとして「報恩講(ほうおんこう)」があります。

 一度は聞かれたことがあるでしょうか。

 報恩講とは、浄土真宗の宗祖・親鸞(しんらん)さまのご命日を縁として、その前後に勤められる法要のことです。

 親鸞さまがご往生された後、本願寺第3代覚如(かくにょ)宗主が『報恩講私記(ほうおんこうしき)』という、親鸞聖人のご遺徳に深い感謝の心を表明されたものを作られ、報恩講がいとなまれたのが始まりと言われています。

 親鸞さまの教えに出遇い、私の命の意義を受け止めたさせていただくことができた、この「ご恩に報わずにはおれない」という気持で勤められる法要であることから報恩講と言われます。

 親鸞さまのご命日の法事といえば、より分かり易いでしょうか。

 親鸞さまの往生された日は、旧暦では11月28日ですが、西本願寺では新暦に換算し、1月16日を最終日として報恩講が勤められます。

 各地域のお寺では10月頃から11月に勤められることも多く、昔から1月に京都のご本山や別院等で勤まる報恩講より時期を早めて法要することから、お取越(おとりこし)とも呼ばれています。

 数年前に、所属のお寺と別院、そして京都・本山の3か所での報恩講へ毎年必ず参拝しているという方に出会わせていただきました。

 いろいろとお話をさせていただきましたが、「こうして必ず最後に親鸞聖人へ御礼・感謝のご報告をしにご本山へ参らせていただくんです」と仰いました。

 お話をしていて、どちらが僧侶なのか・・・と感じずにはおれませんでした。

 毎日手を合わせお念仏しているにも関わらず、感謝の心を絶やすことなく手を合わせてきたのかというと、そうではありませんでした。

 時に愚痴をいい、時に泣き言を言うこともありました。

 改めて自分自身の姿を知らされ、報恩の心を教えていただきました。

 様々なご縁をいただき、こうして私がお寺に参らせていただくようになった。

 ではそのご縁とはなんだったのだろうかと考えていくとき、大切な何かに気付かせていただくことができます。

 法事は、地域によってお作法や内容は多少異なることもあるようですが、ご家族やご縁のあった方々がお集まりになり、お経を唱え、ご法話を聞きます。

 そのまま終わることもありますが、大抵は皆さんお食事をされます。

 近況報告から始まり、思い出話しに花が咲き、いろいろな会話の中に確かな命のご縁があったことを知らされる時間でもあります。

 心の中に、故人が生き生きと語りかけてくる瞬間です。

 親から子へ、そして孫へと脈々と受け継がれていく命の不思議がここに詰まっています。

 止まることのない命の流れがあるということです。

 私たちが命日に法事をお勤めさせていただくことの意義がここにあるのではないでしょうか。

 南無阿弥陀仏とお念仏を唱えさせていただくとき、親鸞聖人が、大切な方々が語りかけてくださいます。

 南無阿弥陀仏と手を合わせるとき、たくさんの命が私を繋いでくれていたことに気付かされます。

 こうして不思議にも命をいただき、なによりも仏法をお聞かせいただくことができました。

 親鸞さまのご縁があったからこそ、たくさんの命の出遇いがあったからこその私でありました。

 愚痴をこぼす日もあれば、泣き言をいう日もあります。

 途方に暮れてしまうときもあるのが人生です。

 どんなあなたであっても、仏さまは見捨てることはないと伝えてくださったのが親鸞さまです。

 親鸞さまの教えに出遇い、「私の命の意義」とまでは至らない時があったとしても、この不思議な縁を感じるとき、あなたに遇えてよかったと感謝のこころで他の命をいただくことができる。

 私は一人ではない。

 あなたに遇えてよかったと言ってくださる仏さまがここにいらっしゃるのです。

南無阿弥陀仏