「お通夜」には、どのような意味があるのですか。

「お通夜」とは「夜を通す」と書きます。

夜を通して何をするのでしょう。

 

関西地方では、お通夜のことを「夜伽」といわれ、「伽」とは「お伽話」の「とぎ」であり、こどもに寝物語をしてその相手をすること、つまり語り相手をし、看病をすることなのです。

もうお亡くなりになったに違いないけれども、まだ生きておられる姿を装うのです。

最後の別れに会えなかった親しき方々が、大急ぎで駆けつけてひと夜最後の看病、最後のお看取りをさせていただくという時間なのです。

お通夜は身近な人の「死」という現実をしっかりと受け止め、日頃、なかなか他人事としか受け止められていない「死」という問題について改めて自らの問題として真摯に受け止めていく大切な場です。

お釈迦様が亡くなられたときにお釈迦様の弟子であり、一番多くその教えを聞いていたアナン尊者であっても、お釈迦様の「死」に接して悲しみに打ち拉(ひし)がれていました。

しかし、アヌルッダ尊者は、お釈迦様の「死」は諸行無常の教えにかなった現実であると静かに受け止め、涙に暮れるアナン尊者に対して、日頃、お釈迦さまから聞いていた教えを、夜を徹して説いたと伝えられています。

ここにお釈迦様の「死」を通して、厳然たる無常の道理を知り、生前、お釈迦様が説いておられた仏法を聴聞するという「法縁」が開かれているといえるのです。

親しき仲であればある程、そのお別れは辛く悲しいものです。

しかしながら、ただ悲しいだけで終わっていくのでなく、亡き方を通して生きている私達自身が改めて教えに出遇わせていただくご縁として受け止めさせていただくことが大切なのです。