「親鸞聖人の舞踊劇」制作の願い

 それは小学校1年生の春のことでした。

私の入学した小学校は、学校周辺にあるいろいろな保育園・幼稚園の出身者が混在しているのですが、その中にキリスト教系の幼稚園から来た生徒が数人いました。

その彼らが、幼稚園であった発表会で自分たちが演じたクリスマスの劇のことを話題にしていました。

 私はその輪の中に入っていた訳ではありませんが、聞くともなしに聞こえてきた発表会の話題を耳にしながら、お寺の保育園であったにもかかわらず、自分が演じたのは桃太郎の舞踊劇であったことを思い出し、一抹の寂しさを感じていました。

桃太郎を演じたことを後悔していた訳ではありませんが、お寺の保育園なのに、お釈迦さまやしんらんさまの舞踊劇が演目の中にないことを、子ども心に寂しく感じたのでした。

 その時は、ふとそう感じただけで、以後特に気にとめることもなかったのですが、やはりそのことが心の片隅に突き刺さっていたのか、保育園の仕事に携わるようになり、遊戯会でシンデレラ・白雪姫・ふしぎの国のアリス・かぐや姫などの舞踊劇を子どもたちが演じる姿を見ながら、「なぜお釈迦さまや親鸞聖人を題材とした舞踊劇が教材の中にないのだろう…」と思うようになりました。

 そんな時、鹿児島別院やその出張所に併設されている竜谷学園の幼稚園では、発表会でお釈迦さまの劇を行っているという話を聞き、その様子を撮影したビデオを見せてもらいました。

各園でいろいろと工夫をして立派な劇を作り上げておられるのですが、「劇」であるため、幼児はセリフを暗記して口にするのが精一杯で、「表現」という点では物足りない感じを否めませんでした。

 私の高校の文化祭では、毎年音楽部が創作ミュージカルを、演劇部は劇を披露していました。

音楽部は予めいろいろな楽曲を編集して録音したものを流しながら演じるので音声もよく聞き取れ、生徒は表現活動に専念することができることもあり、躍動感にあふれたステージはとても人気がありました。

一方、演劇部の方は集音マイクで声を拾っているものの、声があまりよく聞き取れず、ましてや体育館の舞台上ということもあり、観ている生徒の反応はさほどよくありませんでした。

 高校生でもこういうありさまですから、ましてや幼児の場合、一人ひとりがセリフを口にする劇よりも、予め歌やセリフが録音されたものに自分の声を重ねながら演じる舞踊劇が適していることは明白です。

音声や歌が録音されたものを用いると、子どもたちはセリフを暗記する重圧から解放されます。

そのため、生き生きと表現をすることができるのです。

では、セリフは全く覚えなくてもよいのかというと、子どもたちは練習する中で自然と覚えていきます。

そのため、近年発売されている舞踊劇のCDには、カラオケバージョンもあったりします。

先ずは、音声付きで練習して、暗記したら効果音や歌の伴奏を流しながら、自分でセリフを口にしたり歌ったりすることを想定した対応です。

 そこで、「お釈迦さまの物語(舞踊劇)を発表会で披露できるようにしたい」と思って、いろいろ探したのですが、見つかったのは竜谷学園が独自に発表している劇だけでした。

しかしながら、劇はこれまで見てきたように、子どもたちへの負担が大きく、幼児向きとは思えなかったので、ついに「なければ自分で作るしかない」という結論に達しました。

 そのような時、ちょうど浄土真宗本願寺派保育連盟の教材委員に選出されました。

 これ幸いとばかり、教材委員会で「お釈迦さまの舞踊劇制作」を提案しました。

 任期は1期3年ですが、委員長が代わった2期目に提案が採択され、「成道会編」と「涅槃会編」の2つの物語を作ることができました。

 私の携わっている園では、子どもたちがお釈迦さまの物語を歌ったり踊ったりしながら楽しそうに演じています。

それは、練習中だけでなく、自由遊びの際にもしばしば目にする光景です。

また、発表会では20代から30代の若い保護者の方がたが、わが子がお釈迦さまの物語を演じる様をカメラやスマートホンで録画しておられます。

子どもたちは、今はまだ舞踊劇の中で説かれているお釈迦さまの教えをすべて理解することはできなくても、自分がお釈迦さまの物語を演じたことは生涯忘れないでしょうし、いつの日か親が残してくれた記録映像を観ることを通して、お釈迦さまの教えに頷くことがあるかもしれません。

 念願だったお釈迦さまの舞踊劇は作れたので、「今度は親鸞聖人の舞踊劇を作りたい」と思っています。

なぜなら「大切なことは物語を通して伝わる」と考えているからです。

仏教は、まず仏を信じることに始まると言われますが、実際は私を導く師を信じることによって、仏教に導かれることになるというべきかもしれません。

いずれにせよ、私たちはこの世で活動している仏教教団に所属し、自分にとっての善知識(教えを説いて仏道に入らしめる人)となるべき師と出遇うことが必要です。

そこで、初めて僧を信じ、その師が説く法を信じ、その源である仏を信じるという、私の仏道が成り立つことになります。

 このような意味で、幼児期に舞踊劇を通して、私を導いてくださる師・親鸞聖人と出遇う体験を持つということは、極めて意義深いことだといえます。

浄土真宗本願寺派保育連盟の教材委員会では、今年の12月から親鸞聖人の舞踊劇についての検討を始めることになっていますが、数年後、日本各地の加盟園で、親鸞聖人の舞踊劇が子どもたちによって演じられ、「しんらんさま、ありがとう」の声が響きわたることを心から願っています。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。