さつまの真宗禁教史 2月(前期)3 真宗の嫌悪

鹿児島に本願寺の念仏が伝わりますと、為政者たちには、一向宗は嫌だなといった雰囲気が生まれてきました。

まず真宗を嫌悪したのが日新菩薩でした。

日新菩薩は、島津忠良といった人物ですが、鹿児島においては、島津家中興の祖といわれ、近世の島津家、薩摩藩を作り上げた人として高く評価されています。

藩主ではありませんが十五代貴久の父です。

それはともかく、近世の鹿児島藩に大きな影響を及ぼした忠良が、歌った和歌として、

魔のしょいか 天眼おがみ 法華しう 一かふしうに すきのこざしき

との一首があります。

すなわち天眼おがみ(キリスト教)、法華宗(日蓮宗)、一向宗(真宗)、すきのこざしき(茶道など風流事文化)は悪魔の行為であると言うのです。

ここに真宗も、島津忠良に嫌悪されているのです。

それではどうして真宗を嫌ったのか?この歌が掲載されているのは『日新菩薩記』という本です。

これは島津家中興の祖である島津忠良を顕彰した本ですが、ここでこの歌を紹介するにあたりその解説として

諸所に一向宗起って、父母を軽んじ、仏神に疎ずる者、人間の作法にあらず云々

とあり、真宗を厳しく批判しています。

ここに「一向宗起って」等とあり、一向一揆等といった事態を念頭において、真宗が嫌悪されていることを窺うことができます。