「いのちは平等」-仏教の原点-(中期)人間中心主義だ

その一番の根本にあるのがヒューマニズムなんです。

人間に都合のいいものだけを呼び寄せて、都合の悪い者を遠ざけていく。

なんでみんな勉強して知識を身に付けるかと言ったら、自分に都合のいいものをたくさん作って、都合の悪いものを遠ざけるための知識でしょ。

それ以外に知識は必要ないんですね。

そういう知識ばかりを学んでいるからおかしくなっちゃった。

この間ちょっとしたご縁で、五木寛之さんと話をしたことがあったんです。

そのときに、五木寛之さんも「今のヒューマニズムは間違っている。

全部人間中心主義だ」とおっしゃいました。

例えば「これ以上木を切ったり、自然を破壊するのはやめましょう」というのが、今世界的な動きになっています。

私もそうですが、これは皆さん賛成ですね。

ところが基本的に違うんです。

欧米の人たちが「自然破壊をやめましょう」と言うのは、「これ以上自然破壊を続けていれば、地球の温暖化がますます広まり、地球が人間の住めない環境になってしまうから、これ以上自然破壊をやめましょう」という考え方なんです。

これがヒューマニズムなんです。

五木さんと波長が合ったのは、仏教はそうじゃないんだというところです。

「人間に都合が悪くなるから自然破壊をやめましょう」ではないのであって、「人間以外のいのちは、動物であろうが植物であろうが、みんないのちを輝かせて精いっぱい生きているんだ。だからそれぞれのいのちを大切にしようじゃないか」、これが「自然破壊をやめましょう」という仏教の立場なんですね。

「最近の子どもはいのちを粗末にしたり、人のいのちを何とも思わない。これはどうしたものかな」って大人は偉そうな顔をしているけれど、これは大人がそうしているからですよ。

子どもは大人を見て真似してるんです。

私を含めて皆さんどれだけいのちを大切にして生きてますか。

親や大人の姿を見て、子どもは真似してるだけの話なんです。

それを大人が自分の姿を省みずに、「最近の子どもは悪い。だから少年法をもっと厳しくして罰しなきゃいかん」とか、そんなことをやっているのがおかしいんです。

子どもは大人の真似をしているだけなんです。

だから私たちが本当に日々の生活の中で、どれだけいのちを大切にして生きているか、一かい振り返ってみたら本当に情けなくなるだろうと思いますよ。

言うまでもないでしょうが、当然お食事するとき「いただきます」と言っているでしょ。

言ってなかったら「子どもがいのちを粗末に…」なんてそんなこと言う資格ない。

ちゃんと自分が、家でもレストランでもどこ行ってでも、大きな声で「いただきます」と言っていれば、子どもたちはいのちを大切にします。

それをしないでおいて、なんだかんだ言うからおかしくなるんです。