「患者さんから学んだこと」~ホスピスの現場から~(後期)宇宙への航海に

それから定年したとたんに病気が見つかった方がいらっしゃって、原因不明ということで余命あと六カ月だということを、その方はご自身でドクターに聞かれたんです。

新聞社にお勤めされていたので、その方は

「今まで自分はいい記事を書くために締め切りに向っていろんな資料を調べたり、裏を取ったりして、なるべくいいものを書こうと、入社以来ずっと生活をしてきました。今度は人生の締め切りが見えてきました。となると、風にそよぐ木の葉、道を歩いている若い女学生、赤ちゃんの声、そんなものを見たり聞いたりすると、本当に美しく、うれしく感じられるようになりました」

とおっしゃっていました。

また、長い間船乗りで地球上をずっと航海されていた方が、やはりお仕事をやめられてから胃にガンができたんです。

その方が残された言葉と言うのが、「船乗りは星座を見ながら航海していきます」。

ちょうどそのときが六月でかに座だったんです。

かに座は英語でキャンサー、これはガンという意味もあります。

「今まで星座に導かれて航海していた自分が、かに座の時期にキャンサーという病気を得て、これから宇宙への航海に旅立っていきます。こういう最先端の病気で死ぬというのも巡り合わせだと思います。今まで自由に生きてこれたので思い残すことはありません」。

こんな言葉を残して亡くなられた方もいらっしゃいました。

小さな子どもを残していかなければならなかった三十七歳の女性。

まだ子どもは中学校だったでしょうか。

「お母さんは自分の思ったことを言えないで過ごしてきたから、あなたは自分の思ったことはちゃんと言えるような大人になってね」

と残したり、もっと小さい子を残していかれた方は

「お母さんはきっとお庭のお花になって戻って来るからね。お花が咲いたらお母さんだと思ってね」

と残されました。

こういうたくさんの方々を見ていきますと、私たちは死について普段タブーだと思って口にしないとか、縁起でもないとか言ってしまいますけど、こうやって自分も死ねるのだったら死も悪くないなあと。

そんなことを私は学びました。

ただし、「お母さんありがとう、生んでくれてありがとう」とか「すぐに私も行くから待っててね。あちらでも夫婦になろうね」と言ってもらえる方は、やはりそれまでがそういうお母さんであり奥さまでいらしたわけです。

自分の場合だったら、娘たちが四人いますけど「何て言われるかなあ」と正直思いました。

そうすると、こういう最期を迎えられるのはすごくいいなあと、そうなりたいなあと思うということは、自分としては「母親としてどうあるべきか」とか「いったいどのように生きていったらいいのか」ということを考える機会を、患者さんから与えていただいたとうことなんです。

死を考えるということは、やはり生きるとはどういうことかを考えることであり、あんな幸せな最期なんてどうやって迎えたらいいのだろうと思うと、やはり幸せに生きるとはどういうことか考えていく必要があると思います。

では幸せとは何であろうか。

お金があれば幸せでもないし、地位が高ければ幸せでもないし、かと言って家族がいなくて一人であっても幸せな方もいらっしゃいます。

幸せとはいったい何だろうか、これは私たち一人ひとりが、日々の中で考えていかなければならないのだなあと思います。