さつまの真宗禁教史7月(前期)

出水郷における一向宗徒の摘発―その5―

前回にひき続き「出水に於ける一向宗禁制史料」(『日本庶民生活史料集成』第十八巻所収)を意訳して一向宗徒探索の様子を見ていきます。

● さらに注意していたところ次のことが判明しました。

それは一人の町人がこの九月ごろ商用のために肥後にいった時に見聞した時の報告です。

軸谷村(出水市)仲兵衛

一、右の者の外に同伴者三人いましたが見知らぬ者でした

一、衣類は薄色染めで、外見は夜中でしたのではっきりしません。

羽織立縞黒色のようでした。

一、 背負い籠を持参していました。

同伴者一人も背負い籠を背負い、縞羽織を着ていましたが下着まではわかりません。

次の者は去月十五日夜水俣浜の町一向宗の寺(源光寺)で、熊本の坊主の説法があった時に参詣したことを見届けました。

帰ったのは四ッ時分(午後十時)でした。

一、 高尾野(出水郡高尾野町)より男女十四、五人が子供づれで参詣していましたが、他所の人物で名前はわかりません。

しかし、一人は坂之上六右衛門殿の嫡子だと思いますが確証はありません。

その他にも薩摩の人間は大勢いたようです。

右の報告があり、一向宗徒が根絶していないことは間違いないことで、早速、右の事態を上申すべきでしたが、何分、一人の調査では不充分であり、綿密に調査するようにとのご指示には到底かなうものではなく残念に思いました。

その後も村々では一向宗はいまだ根絶していなようですが、報告する程の確証はないとのことでしたので、まず実態を確しかめるように指示しました。

(次回に続きます)