お盆に寄せて

お釈迦さまの多くのお弟子の中で、その優秀さにおいて一、二の評価を得ていたのが「神通第一」と讃えられた目蓮(モッガラーナ)尊者です。

「神通」の「神」とは測ることができない、「通」とは身や心の自在さをいいます。

一般に、身や心の自由自在なはたらきと聞くと、あたかも超人的な力であるかのように思ってしまうものですが、この神通力とはただ単に自分の思いのままに行動できるということではなく、自らが仏法に生き、他の人々に仏法を伝え、仏法をもって救うはたらきの自在さを意味しています。

この目蓮尊者の神通力に関するいろいろな事柄の中で、もっとも有名なのが今日のお盆(盂蘭盆会)の起源として伝えられる物語です。

神通力は六神通とも言われますが、その中の一つに人々の未来を見通す「天眼通」という力があります。

とても母思いであった目蓮尊者は、修行の成果によって神通力を身につけたとき、まず思ったのは亡き母のことでした。

早速、会得した天眼通によって亡き母の姿を探し求めたところ、その眼にうつったのは何と餓鬼となって苦しんでいる惨めな姿でした。

この「餓鬼」というのは、インドの「プレータ」という言葉がもとになったもので、言葉そのものの直接的な意味は「逝けるもの」ということで三種あるといわれています。

一つは「無財餓鬼」。

これは、一般に理解されている餓鬼の相です。

まったく食べる物も飲む物もなく、常に飢えている存在です。

二つめは「少財餓鬼」です。

これは、少しだけ食べる物があります。

具体的には、膿とか血とか、他人が飲んでその時に唇から落ちるしずくだけなど、ほんの少しだけ口にできる餓鬼の相です。

三つめは、「多財餓鬼」です。

これは、他人が施したもの、食べ残したものを食べられます。

しかも「天(天上界)の如くに富楽」つまり、あたかも天上界にいるかのように富み楽しんでいるというのです。

なお、最初の無財餓鬼に対して、あとの二つは「有財餓鬼」とよぶこともあります。

このように、餓鬼というと飢えている相だけを想像してしまうのですが、なくて飢えている餓鬼と、あって飢えている餓鬼との両方が、餓鬼のとしておさえられています。

『大無量寿経』の中に「尊いものも卑しいものも、貧しいものも富めるものも、ともにお金のことに心を煩わせている。

貪欲に苦しめられていることは有無同然である。」と説かれています。

持っているものも持っていないものも同じである。

持たないものだけが貪欲に苦しんでいるのではない。

たくさん持っていることで、いよいよ貪欲に苦しんでいるものもいる。

つまり、餓鬼というのは何かというと、土地と財産とか、そういう自分以外のものをもって自分を見たそうとしている相なのです。

けれども、外のもので自分を満たそうとすると、その結果自分自身がなくなってしまいます。

このような意味で、餓鬼とは、あればある、なければないで、そのことで常に自分を見失っている。

まさしく有無同然なあり方に陥っているものこそが、餓鬼なのだといえます

目蓮尊者の母親は、この三種の餓鬼の中の無財餓鬼でした。

母親が餓鬼になっている相を見て驚き悲しんだ目蓮は、神通力によって母親が餓鬼道に堕ちなければならなかった理由を知ろうとしました。

すると、そこには生前、目蓮尊者の知らなかった母親の姿がありました。

確かに、母親は目蓮尊者にとってはこのうえなく優しいひとでしたが、目蓮尊者を育てることにせいいっぱいで、他人に対してはものを取り込む一方で、施したり恵んだりするということは一切ありませんでした。

そのため、今でも「欲しい、欲しい」という餓鬼の姿でさまよい続けているのでした。

まさに、目蓮尊者に対する深い母性愛によって餓鬼道に堕ちたのでした。

そこで、目蓮尊者は神通力によって母親に食べ物を差し出しました。

けれども、何も口にすることのできない無財餓鬼ですから、目蓮尊者が差し出した水や食べ物は、ことごとく母の口に入る直前に炎となって燃え上がってしまいました。

そして、かえってその飢えをいっそう激しいものにすることになりました。

目蓮尊者は、厳しい修行によってようやくにして神通力を得たにもかかわらず、身近な母親一人さえ救うことができないことを深く悲しみ、号泣しながらお釈迦さまのもとに行きました。

そして、いかにすれば母親を餓鬼の苦しみから救うことができるかをお尋ねしました。

それに対してお釈迦さまは、「汝(目蓮)一人の力の及ぶところにあらず」と諭され、夏季、修行僧たちが集い学ぶ安居(あんご)の最後の日(7月15日)に、修行僧たちを供養し念ずべきことを勧められました。

そこで目蓮尊者は、お釈迦さまの教えにしたがって、供養の食物を「盆」に盛ってお釈迦さまのおられる塔にささげ、ついで大勢の修行僧を供養し心から念じました。

すると、人々は大いに喜びました。

そして、その功徳が餓鬼道にも伝わり、母親は「餓鬼の苦を脱することを得」、天上界へとのぼっていきました。

このことに、目連尊者や修行僧たちの喜びは二重になり、思わず歓喜の踊りを踊っていました。

これが「盆踊り」の始まりだといわれます。

以来、仏教徒の間では、この(旧暦)7月15日は、仏教徒として父母に孝養の誠をささげる日として大切にされてきました。

こうして、現在でもお盆には亡き方々の墓参りなどのために、大混雑の中を苦労しながらも、ふるさとに帰省される方が多くいらっしゃいます。

その方々の根底にあるのは、亡き人への深い思慕の情だと推察されますが、では残りの日々はどうかというと、誰もが毎日色々なことに追われるように生きているので、「自分のことで精一杯」といったところではないでしょうか。

先にお浄土に往かれた方は、私が拝まないときにも拝んでいてくださいます。

そして、いつもいつも案じ念じていてくださいます。

お盆に、亡き人を思えば思うほど、同時に「亡き人を案ずる私が亡き人から案じられている」ことに心寄せたいものです。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。