さつまの真宗禁教史10月(後期)

かくれ門徒の様態(その5)

かくれの様子

薩摩の門徒は念仏者の結社〈講〉を結成し、密かに念仏をまもりました。

ここで門徒の「かくれの様子」をみてみましょう。

嘉永二年(1849)二月、鹿児島の門徒が本願寺にあてた上申書に

海辺之講々者御宝物一切諸道具船ニ而詫仕候得者、隠留候得共、山塞野外幽谷之在所者、深山厳崖之洞穴或者岡林を掘埋抔仕置隠留之候得共、雨湿之ためニ摩滅仕候事殊

ニ無致方次第ニ御座候(諸国記)

とあります。

海辺の諸講々は法宝物を船上に隠し、山間部の諸講は深山の洞穴(ガマという)あるいは土に埋めて隠すので、雨湿の為に破損がひどく情けないことである、というのです。

緊迫した中で念仏を相続した様子がしのばれます。

なお「ガマ」は鹿児島県の各地に今も残存しており最近多くの人が参観されています。

その他、本尊や仏具類を土蔵や屋根裏に隠したとの伝承もあります。

また川辺郡知覧町の「ミュ-ジアム知覧」には本尊を隠すために上部に穴をあけて、細工した柱が展示されています。

また東本願寺派鹿児島別院には表面は箪笥の形をして、なかに本尊がかくしてある仏壇を所蔵しています。

また万一、役人に本尊の所持を知られた時は「身替仏」を用意してこれを差し出す時もありました。

この「身替仏」について、天保十四年八月、先細布講総代傳右衛門らが本願寺にあてた「乍恐以書付奉訴訟申上候覚」に、天保十三年(1842)4月出水でおこった法難は、元法頭であった鬼塚龍右衛門ら四人の密告によっておこりましたが、

この時ばかりは「身替り真似仏等ニ而役筋を欺候事出来不申」といった報告があります。

偽の本尊では当局を欺くことができなかったというのです。

(諸国記)また本尊を身辺に置けないほど取締りが厳しくなると他国の寺院や門徒に預けることもありました。

このようにして鹿児島の門徒たちは信仰を守りとおすために様々な方策を廻らしたのでした。