「保育士は誰でもできる仕事」ではない

「待機児童」の問題と並列的に語られるのは、「保育士不足」です。

保育士資格を持っているのに保育の現場で働いていない、いわゆる「潜在保育士」の数は2015年の時点で76万人。

2006年の時点では37万人でしたから、10年で倍以上に増えました。

実際、保育現場で働いていた潜在保育士にアンケートをとったところ、その内の87%の人が「給与が安い」ことを理由に「復帰したくない」と考えていることが分かりました。

このような状況を踏まえて、朝日新聞が10月12日に掲載した「『なんで保育士の給料は低いと思う?』低賃金で負の循環」という記事に対して、ホリエモンこと堀江貴文氏が同日発言した内容が波紋をひろげました。

堀江氏は、保育士の給料が上がらない理由について「誰でも出来るから」とコメントし、「事実を述べただけ」と解説したのです。

堀江氏が、特定の職種を挙げて「誰にでも出来る」といった評価するのは、明らかにその職種や就業中の人を見下しているからにほかなりません。

そのため、今回の堀江氏の発言を「保育士を馬鹿にしている」と受け止めた人が多くいました。

ネット上では「そんなに言うなら一か月保育士をやってみて」「国家資格が必要だから誰にでも出来るわけじゃない」といったコメントが多々寄せられました。

堀江氏はこうしたコメントを「論点がずれている」「感情論の極みだな」と一蹴し、職場環境については「当たり前のこれまでをなんら改善しようとしないからダメなんだよ。例えば壁の装飾とか本当に必要?とかね。IT化も遅れてるしな」と、効率化が進んでいないことを指摘し、発言の真意についても「誰でも(やろうとしたら大抵の人は)出来る(大変かもしれない)仕事だから希少性が低く(コンビニバイトなどと同様に)給料が上がらない構造になっている」と、説明しました。

一連の発言を読んで頭に浮かんだのが「無明」という言葉です。

無明とは、私たちの迷いの根源を表す言葉ですが、ひらたく言うと「すべて分かったつもりの心」と言い表すことができます。

堀江氏は、自分だけは何でもすべて分かっているかのような発言をしていますが、本当に保育現場のことがよく分かっているのかというと、保育現場に身を置く者から言うと「全く分かっていない」と、言わざるを得ません。

保育の現場は、平成25年以降、毎年処遇改善が行われ、給与面でも著しく改善が進んでいます。

それ以前に給与が上がらなかったのは、決して「誰にでもできる」仕事だからではありません。

保育園では「0歳児3人に保育士1人、1・2歳児6人に保育士1人、3歳児20人に保育士1人、4・5歳児30人に保育士1人」という職員の配置基準があり、園児の年齢によって、国・県・市町村からそれぞれ運営費が施設に支給されます。

以前は、それらの運営費収入を「人件費・事務費・事業費」に分け会計処理をすることになっていた上に、給与の俸給表も国家公務員に準じたものを用いていたので、容易に給与の額をあげることができませんでした。

また、私立の保育園は「社会福祉法人」が運営の主体となっていることからも窺い知られるように、社会福祉の担い手としての使命感に基づき設立された園が大半であったことから、職員処遇よりも園児処遇に運営費が傾注されがちでした。

それでも、現場の保育士は社会福祉に寄与・貢献していることを誇りに、頑張ってきたのです。

これらが、保育士の給与が安価だったことの根本的な理由です。

堀江氏の発言をめぐって、ある保育士が

「私は保育士をしていますがその通りだと思います。資格を持たずとも子育てはできる。一方で、国家資格をとり子どもにあたる保育士がいる。この両者の違いであるはずの『専門性』がオープンでないし、当然世間も認知していない。『子どもと遊ぶだけ』の印象を変える努力が必要」

と賛同するコメントを出しています。

賛同者の保育士は「資格を持たずとも子育てはできる」と述べていますが、保育園で行っているのは指導計画に基づく「保育」であり、家庭で行う「子育て」とは明らかに違います。

確かに、子どもが生まれれば親になりますし、子どもの育児をすれば「子育てをしている」と言えますが、それと保育園での保育は同一ではありません。

それを裏付けるかのように、来年度から改訂される「保育所保育指針」で、保育園は「幼児教育施設」としての位置付けが明確化されました。

また「専門性がオープンでもない」とも述べていますが、専門性という言葉は「特定の領域に関する高度な知識と経験のこと」ですから、保育士は「大学で保育に関する領域ついての高度な知識を学び、日々保育の現場で経験を積み重ねている」のですから、その専門性は明らかです。

さらに「子どもと遊ぶだけの印象を変える努力が必要」とも述べていますが、乳幼児は「遊び」を通していろいろなことを学んでいくのです。

したがって、子どもにとって、いかに「遊び」が大切か、その意義を周知することが課題なのだと言えます。

堀江氏の発言に対しては「わざわざ炎上させて、保育士の低賃金現状を周知させてくれてるの親切~」と、騒動を皮肉る声も聞かれますが、保育士の処遇改善は毎年継続的に行われていますし、IT化もかなり進んできています。

今回の堀江氏のような、自分の思いだけでレッテルを貼ってこうだと決めつけるあり方に、まさに「無明(すべて分かったつもりの心)」に惑いながら、そのことになかなか自らでは気づき得ない人間の本質を見たような気がしました。

だからこそ、私の在り方を照らし、問い続ける仏法を聞き続けることがいかに大切かということも、改めて感じたことです。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。