さつまの真宗禁教史1月(中期)

三十八回

真宗解禁と本願寺 (その2)

本願寺の鹿児島開教

このようにして真宗が解禁されると、本願寺は鹿児島布教に力をそそぎ、当時の本願寺の重鎮であった大洲鉄然等の重要人物が鹿児島にやってきました。

しかしここで問題がおこりました。

本願寺教団は、従来「王法為本」・「真俗二諦」を基本路線としてきました。

つまり、「国の法律や道徳には絶対的に従っていこう」というのが教団の基本路線でした。

そこで、開教にあたり、真宗禁止の法律を無視して本願寺に帰依した門徒たちをどのように評価するかといっ

たことが、大きな問題となってきました。

真宗禁止令といった法律を破り本願寺に帰依した門徒たちを賞賛するならば、これは非合法活動を行ってきた門徒を顕彰することであり、本願寺の「王法為本」・「真俗二諦」の基本方針に相反することです。

そこで、大洲鉄然は鹿児島布教にあたり「開教趣意書」を公布しました。

本願寺はこういう立場から鹿児島を開教します、という趣意を明示したのでした。

今ここでその主意を紹介しておきます。

「本願寺の宗旨はまず信心堅固によって報土に生まれることである。

そして勧善懲悪し、倫常を守り皇政を遵法することである。

二諦のうち一つを欠くと我が宗旨ではない。

ところで鹿児島県は真宗が禁止されていたにもかかわらず奸僧、悪い僧侶が潜入して、本願寺の使僧と偽り、真俗二諦の教理を説くこともなく、仏法さえ信じれば世法は取るに足りないなどと言い、国法を犯し、倫常を乱し、神明を軽蔑し、他宗を誹謗し、また僧侶に財貨を施せば成仏すると説いていた。

そこで熱心な信者はこれを信じて国禁を犯す者も多く、その状況は聞くに忍びないものがある。

しかし、これを正そうとしても布教が禁止されていたのでどうすることもできず、本願寺の大法主は心を痛めるだけであった。

今信教の自由の公布があり、破邪顕正の機会を得た。

そこで大法主は大変喜び、わたくしに従来の悪習を改めて、真俗二諦の正しい教えを弘めるように委ねられた。

これこそ大法主がわたくしを派遣されたご趣意である。

同心の行者よくよくこれを体せよ」といった内容の開教趣意書でした。

ここで、真俗二諦路線を基本といたします本願寺教団の矛盾が端的にあらわれました。

従来、本願寺も僧侶を派遣して鹿児島の門徒たちに布教しましたが、そうした僧侶たちは悪僧であり、本願寺の門徒たちも悪い僧侶に騙されていたといい、支離滅裂論理を持って、鹿児島の開教にあたったのでした。