平成30年3月法話 『花びらごとにその色の光かがやく』(前期)

先月行われた平昌での冬季オリンピック。

その開会式を5歳になる娘たちと一緒に見ていました。

各国の選手たちが国旗を先頭に華々しく入場してきます。

今、色んな旗や国旗に興味を持ち始めている子どもたち。

国旗の絵本を手元に置き、様々な国旗がテレビ画面に映し出されるたびにページを行ったり来たりし、見つけたときには「あった!」「見つけた!」と大興奮の様子。

「きれいだね」「格好いいね」「この色知ってる」など、子どもながらに世界には日本以外にもたくさんの国があるんだということを感じていたようでした。

その時私はふと、あじさいの花を思い浮かべました。

あじさいの花は大きく見えますが、近くによってよく見てみると小さな小さな花弁が幾十にも重なりあい、大きな一つのあじさいの花として咲いています。

淡い色、濃い色、大きな花も小さな花も、その一片一片があじさいであり、色とりどりの輝きをもっています。

オリンピックの各国の入場と色とりどりの国旗も、あじさいの花と同じように思えました。

人種、文化、宗教。

肌の色、目の色、体格は違っていても、それぞれに自分たちらしく、国や地域に誇りを持ち、その違う者同士がスポーツを通じてふれ合い、重なり合い、その象徴である五つの輪はまさに妙なる大輪の華のように私の目には映りました。

私の命は、私しか生きることができません。

あなたの命はあなたにしか生きられない命であります。

羨むものでも、妬むものでもなく、私は私であり、あなたはあなたであってよいのです。

違っていて当たり前なのですから。

違いを認め、敬いあうあり方。

なかなかそうはならないのもまた私たちでありますが、難しいけれどもやはりそこを目指していく、それが仏教の世界観であるような気がしています。