「かなたからのひかり」(後期)アインシュタインが感銘した仏教の教え

私の生家はお寺で、長男でしたのでお寺を継ぐものと思っていましたが、中学時代は理論物理学、アインシュタインや湯川秀樹先生に非常にあこがれていました。

相対性理論やブラックホールなどで有名なアインシュタインは1929年に来日しています。

大正時代、関東大震災の前の年です。

そして尊いお話が伝えられています。

大正時代の日本はとても裕福で文化的な時代でした。

多くの貴重な書物が出版されたり、有名な人の講演会も開催されました。

その中でアインシュタインも招待されたのですが、彼は特別でした。

日本に来る旅の途中でノーベル賞受賞の知らせを受け、ニュースも伝わっていたので日本では大歓待、大歓迎でした。

国内の各地で講演会が開催され、どこも立ち見がでるほどの盛会だったそうです。

アインシュタインは「せっかく仏教の国に来たのだから、仏教の心に触れたい」と要望されたようで、近角常観(ちかずみ・じょうかん)という真宗大谷派の先生が紹介されたそうです。

近角先生は、アインシュタインに日本の昔話『姥(おば)捨て山』の話をされたそうです。

皆さんもご存じと思いますが、昔、貧しい農村で食いぶちを減らすために村のおきてをつくって、ある年齢になった老人を山奥に捨てに行くという話です。

息子が母親を背負子(しょいこ)に背負って山奥まで行くわけです。

そして最後の別れのときに息子が「申し訳ないけれど、お母さんを家に置いておいたら村八分になるからここに捨てて帰らねばならない」と言うと、お母さんは「息子や、あなたはこんな山奥まで来たことないでしょう。背負子に背負われて、分かれ道に来たときに手をのばして、里に帰る道に枝を切って置いといたから、それを伝っていけば無事に帰れるよ」と言うのです。

自分は餓死するかもしれない、獣に襲われるかもしれない、もう数日しか生きられないそういう境涯にあっても、息子のことを心配し考えるという母の慈悲の心の言葉です。

ここまで話して、近角先生は「仏さまはどんな境涯でも、この母親と同じように慈悲の心で信ずるものを救ってくださる。それが仏の心です」と、アインシュタインに伝えたそうです。

アインシュタインは科学者であり、無神論者だったそうですが、この話を聞いてとても感激して「仏教を信じる国に来られたこと、たくさんの仏教徒、仏教を信じる人に会えたこと、そして仏教の心に触れたことに本当に感謝します」と近角先生にお礼を言われたそうです。

偉大な科学者にもこういうなぞらえをすると仏の心がよく通じたということが伝えられています。

今日は、宇宙の歴史が我々の身体の中に入っているということ、親たちのおかげの大切なこと、様々な人たちの中で生かされているということ、そして浄土真宗の食前の言葉にもありますように多くの命のおかげであるということをお話しました。

この大切なみ教えが私たちが生きていく先をしっかりと導いてくださる大きなおかげさまの私であるということを感じさせてくれるのではないかと思います。

我々の存在というのは小さなものですが、生命の進化、宇宙の営みの中で私たちがここにいるということを考えますと貴重な存在です。

ここで出会い、今一緒にいるということが貴重なつながりです。

なにかと多忙な毎日ですが。

ときどきは余裕をもって星空を見上げて宇宙の雄大な世界、広くて大きな世界と歴史を感じていただければと思います。