さつまの真宗禁教史 3月(前期)

四十三回

薩摩門徒が念仏を放棄しなかった理由(その1)

前回より薩摩門徒が厳しい取り締まりを受けながらどうして念仏を放棄しなかったか、考えてきました。

その一つの理由として、霧島山麓に現存する「カヤカベ教」の信仰を揚げてみました。

そこでは浄土が極めて身近な存在で、往生者が浄土から娑婆の知人に送った手紙などが残存しています。

極めてお浄土への憧憬が強かったようです。

彼らが念仏に執着した一つの要因に掲げて良いでしょう。

また、それとは逆に念仏を放棄すれば浄土にいけずに、地獄に落ちるといった恐怖心もあり、念仏を放棄できなかったとも考えられます。

さらに世俗的な理由を考えてみましょう。

薩摩の門徒は講(念仏者の結社)を組織して、本願寺と密かにそして懸命連絡を求めました。

それは信仰はもとより、世俗的な理由もあったとおもいます。

その一つとして、講の世界に魅力を憶えたものとおもいます。

念仏者の組織の講は、封建制度の根幹である身分制度の枠を超えて、下級士族や農民や漁民が一体となった結社でした。

それは日常の生活と異なった自主的な組織でした。

これは、家庭や行政から与えられた、五人組とかいったような組織を生活の場としていた人びとにとって魅力ある組織であったことでしょう。

つまり、たとえば家庭がただ一つの生活の場であれば極めて閉鎖的な鬱屈した常生活になってしまいます。

それとは異なった自治的な結合=講が組織されたことは、極めて魅力的なものであったろうかと思われます。

現代のわたくしどももただ家庭だけの生活ですと、ややもすれば悶々とした日々を送らなければならないでしょう。

やはり他に息抜きの場所が必要でありましょう。

同様に鹿児島の門徒たちも日常の生活と異なった自治的な講は魅力あったものと思われます。

いわば講という日常的生活からの逃避の場所・癒しの場所が一つもたらされた、これは魅力あるものであったと思われます。

ここにも門徒たちが真宗禁止といった法律を無視して、積極的に講へ参加した世俗的理由をみいだすことができようかと思います。