父の背中

歯を磨きながら、「これだけゴシゴシと歯を磨いても、歯が擦り減ってなくなったとは聞いたことがない。

二十km四方の岩を天人の薄い羽衣でサッとなでる。それを百年に一度繰り返し、岩が擦り減ってなくなってしまう時間とはどれほどの時間なのだろうか?」

これは仏典に示されている一劫という時間の譬えです。

一劫が想像及ばないほど長い時間である事が伺えます。

阿弥陀仏が仏さまになられる前、法蔵菩薩と名のられた時に、その五倍である五劫の時間、どうしたらこの私を救えるか深く悩まれ、ご本願をお建てになったと言います。

お正信偈には「五劫思惟之摂受」とあります。

それから願いを成就すべく行を積み、阿弥陀仏となられました。

以前、勉強会で講師の先生から法蔵菩薩五劫思惟像という像があると教えていただきましたので、インターネットで調べてみることにしました。

そしたら頬はこけ、肋骨は浮き出て、骨と皮だけになった法蔵菩薩が片膝を立てて悩まれている写真が出てきて、それは一歩引いてしまうような写真でした。

この写真をみて、頭に浮かんだものがあります。

それは父の後ろ姿です。

中学生くらいまでは温泉にいくことも多く、父の裸を見ていたのですが、高校に上がってから温泉に行く機会もぱったり無くなり、父の裸を見ることもなくなりました。

ある日、「背中が痒いから薬を塗ってくれ」と頼むので、手伝うことにしました。

父は長いこと人工透析をしているため皮膚が弱くなり、よく痒くなるそうです。

服を脱いだ父の上半身は、想像していたものとは異なりました。

めっきり細くなってしまっていました。

背中にはあざのようなものがたくん散らばっています。

恐らく、掻きむしり、カサブタになっても掻きむしったのでしょう。

小さい頃見ていた父の背中とはかけ離れたものでした。

この背中は、病気のせいで細くなったと言ってしまえばそれまでですが、きっとこれは病気のせいではないのです。

これは、私を立派な大人に育てるために大変な苦労し、病気にもなり、ここまで細くなってしまったのです。

そう頂くと、有難いという思いと、こんなになるまで苦労をかけて申し訳ないという思いが浮かんでくるのです。

法蔵菩薩五劫思惟像のあの骨と皮になられた姿は、この私を救うためにこれほど細くなってしまわれたのです。

その有難さと、申し分けなさが私の口から「南無阿弥陀仏」と出てくださいます。

お蔭様で、私もお浄土へ参り、仏になる身にさせていただきました。

合掌

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。