「落語の世界とその弟子たち」(下旬)次の世代へと…

こんな弟子がおるかと思うたら、夏場に私が鮭を食べたくなったから、夏場に私が鮭を食べたくなったから、「おい、市場に行って鮭をひと切れ買うて来てくれ。それと帰りにこの手紙をポストに入れて来い」言うてね。

「はい」と言って鮭もいっしょにポストに入れて帰って来た弟子もおります。

しかし、今はわかりませんで。

これは間が抜けてアカンやろうと思いますやろ。

ところが、今はそういう子でもパッと出てくることがあるんです。

これが今の時代なんです。

時代の流れというのは恐いもんやんあと思いますし、そういう時代に巡りめぐって弟子になって修行している子も非常に幸せと言えば幸せじゃないかと思います。

私はよくサインするときに、「やる気・根気・取る気」と書くんです。

やる気とはどういうことかと言いますと、木が大きくなりまして枝が出ます。

そして花が咲きます。

花を咲かすためにみんな一生懸命がんばるんですね。

「きれいに咲いたやろう、見てみい」これは非常にええことやと思います。

しかし、われわれの世界は、それだけではいかんのです。

花が咲いたら、咲いた花を相手にやりなさいと。

これがやる気やないかと思います。

自分が楽しんでるだけではいかん。

自分が咲かしたものは相手にも咲かしてもらうように与えなさいと。

そして、その花を相手に与えるためには、根になります根気というものが一番大事です。

根を大事にしながら、枝を伸ばして花を咲かす。

この根気を大事にしなければならない。

次に取る気というのは、花を与えたら、今度は自分が次のものを吸収する。

これが取る気やないかと思います。

それと、いつも思いますのは、師弟の関係というのは、風船と糸の関係やないかと。

風船というのは糸があったら上にあがって行きます。

上で漂うております。

これはなぜかというと、糸があるからです。

この糸というのが師弟の絆やないかと思います。

その糸の根元をしっかりと持っていたら、上で風船は好きなように漂うております。

ところがこれを切ってしもうたら、風船は飛んでいきます。

飛んでいったらどこに行ってしまうかわからん。

しかし、上で漂うておられる幸せを感じたら、このつながっている糸というものを大事にせないかんなあということを認識して、上で漂ってないといかん。

これが師弟の関係やないかを思っております。

私の弟子の中にも、不肖の弟子、頭のさえた弟子など、いろんな弟子がたくさんいてます。

しかしながら、弟子を取った幸せといいますか、弟子から学び取ることも数多くあります。

また、師弟の関係というのは丸い輪であると思います。

ぐるぐる回っているもんやないかと。

この輪を大事にしながら、一門のためにもがんばってもらいたいし、また、これから次の世代へ継承していくべき大事なものを残してもらいたいと思います。

悪いものをそのまま残していってはいかん。

ええものにして残していかないかん。

われわれの世界のええものは何かというたら、先人から受けついだ古典の立派な落語です。

これを次の世代へといつまでも伝承してもらわないと困るということなんです。

悪いことを植え付けるのではなく、ええものを残していくという姿勢をもってがんばってもらいたいと、いつも弟子には言っております。