平成30年6月法話 『一人では何もできない お陰さま』(後期)

環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア人女性、マータイさんは「もったいない」という日本語を環境を守る世界共通語として「MOTTAINAI」として広めることを提唱しました。

英語に代わる言葉がないからです。

「お蔭さま」もそのような言葉です。

感謝の言葉ですが、何に対してと具体的に対象があるわけではありません。

この一椀

我にささげる無数の手

見ゆるがごとし

いただきて食う

という詩を聞いたことがあります。

茶碗一杯の御飯ですが、私のところに届くまで、どれだけの人の働きがあったか。

それは、数えきれないほどだということです。

ある小学校の先生が、こんな授業をされるそうです。

子どもたちに一枚の白い紙を見せて

「ここに何が見えますかと」

と問いかけます。

すると、子供たちは戸惑う様子を見せます。

なぜなら、一枚の紙があるだけだからです。

そこで先生は続けて

「先生には山が見えます。空が見えます。雲が見えます」

と。

そこで子どもたちは、だんだん気づいてくるのです。

紙は、木の繊維から出来ている。

木が育つには、山が水が…

と。

子どもたちの想像は、どんどん広がってきます。

紙ができるには工場がいる、機械がいる、機械を作る人がいる。

ここに届くまでには、

運ぶ車がいる、運転する人がいる

と。

たった一枚の紙ですが、その広がりゆく方向には限りがありません。

木が育つには、日の光がいる、太陽がいる

と、子どもたちの想いは、やがて宇宙にまで広がっていきます。

私たちの生活もそうです。

ご飯を食べ、着物を着、車を走らせ、私の生活を支えているものは、限りがありません。

その事実に気が付くと、ただ「お蔭さま」というほかありません。

でも、「心の底からそう思って感謝しているのか」と問われると、

「言葉だけです」と言うしかありません。

なんとも情けない話です。

理屈では分かっていますが、心の底から分かってそんな感謝の思いで生活してはいません。

煩悩の生活です。

ただ、「南無阿弥陀仏」と。

念仏を称える生活です。