「人生という名の舞台」(中旬)一番いい死に方

病気というのは、しないにこしたことはございません。

私のようにいまだに整形外科の先生と縁が切れないのも悲しいことです。

病院へ行くと色々な方がおられます。

最近気がついたのは、付き添いの方が家族ではなくて養護保健の方がおられるということです。

家族の方も病人を抱えたら大変だろうと思いますし、私も家の者に迷惑をかけるのなら入院しようかと思ったこともあります。

しかし、入院というのも嫌なものですね。

食べたくないのに食べろとか、寝たくないのに寝ろとか、嫌だなと思います。

いずれはお世話になるのかもしれませんが、理想はポックリ逝くのが一番いいなと思います。

大分前に奈良のポックリ寺というところに仕事でいきまして、私も「どうぞポックリ逝きますように」とお願いしてきました。

病気で死ぬのは何が一番いいのかなと思いましたら、一番いいのはがんだそうです。

余命が大体わかると、家族はその間一生懸命看病します。

これがダラダラ寝込まれると本当に困りますね。

だから死ぬのならがんでパッと死ぬのがいいと言われました。

何もすき好んで病気になりたいわけでもないですし、死ぬのは誰しも嫌なのですけれども、私はいつ死んでもいいや、なるようになるさと思います。

あと始末はしないといけないと思っていたのですけど、そんなことはしなくてもいいんです。

自分勝手に死んでいけばいいんだと聞いてから大変楽になりました。

私の母などは父が死んでからお参りの時間が長くなったんです。

ずいぶん信心深くなったもんだと思って、何をお願いしたのか尋ねたら、「お迎えが来ないように」と頼んだそうです。

父が死んでから我が世の春を迎えたそうで、旅行に行ったりして色々楽しんでおりました。

私も主人が死ぬまでは、仏壇にご飯をお供えするだけでしたけれども、今は朝起きた時に「おはよう」、帰ってきた時に「ただいま」と手を合わすようになりました。

誰かに教えられたわけではないのですが、困った時やうれしい時に、仏壇に向かっています。

やはり、死に別れというのもつらいものですが、世の中には色々な事情で生き別れの方もたくさんおられます。

たとえ五十年近く一緒に暮らした夫婦であっても、元は他人でございます。

永い間一緒にいる中で何が一番大切かというと、いたわりが一番大切なんだと思います。

ちょうど主人が入退院を繰り返している時に舞台があって、東京を離れることもございましたけれども、自分にできることを精一杯やれば心残りがないものです。

いたわり、慈しみ、人の気持ちが分かる人間になれればとそう思います。