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大丈夫だよ

人間は108の煩悩の塊だと教えられたことがあります。

煩悩は私たちを煩わせ、悩ませます。

よく、言われるのは次の3つの煩悩ですよね。

  • 貪欲(とんよく)
  • 瞋恚(しんに)
  • 愚痴(ぐち)

貪欲は、欲の心

瞋恚は、怒りの心

愚痴は、ねたみ、そねみの心

欲というものは、みんなに必ずあるものです。

でも、いつも満たせる人はなかなかいないと思います。

そして、満たされないために、

イライラ、プンプンしてしまいます。

また、自分の思い通りにならないと、

その責任を誰かのせいにして

私が悪いんじゃないと開き直ることもあります。

 

そんな時に、

私が、よく思いうかべることが、

「大丈夫」

ということです。

 

大丈夫という言葉は万能な言葉と思います。

転んでしまって、痛い思いをしても

大丈夫。

誰かの誘いを断るときにも

大丈夫。

悲しかったり、

苦しかったり、

寂しかったり、

辛かったり、

そんな時は、いつでも

大丈夫。

 

なんて、万能な言葉なんでしょう。

でも、思います。

本当に、大丈夫?

 

痛いときは、

「痛いっ」て、泣いていいし、

断る時は、

「必要ないです」って、言わなきゃ。

辛い時は、

「聞いて」って、口にしていいし、

寂しかったら、

「側にいて」って、頼らなきゃ。

 

「大丈夫」って答える時、

我慢できる。

頑張れる。

それって、

本当に大丈夫ですか?

 

たまには、

強がることをやめてみて。

時には、

ちょっと休んでみて。

 

心を開ける人がいなかったら

近くのお寺に足を運んで、

話を聞いてもらえばいい。

 

それが難しければ

一人になって、

叫んだっていい。

 

絶対に

我慢し続けなくても

大丈夫。

だから…

お骨を墓から納骨堂へ移す際の手続きの仕方を教えて下さい。

最近、故郷を離れた場所で生活されている方が、故郷の墓の墓じまいをして、お骨を移動されるという事例が少しずつ増えてきています。

お骨を移動する場合には、ただ単にお骨を墓から取り出し移動すればいいというわけではありません。

移動する場合には、手続きが必要になります。

埋葬されているお骨を他の墓地、納骨堂に移転することを改葬といいます。

この改葬の際には、「墓地、埋葬等に関する法律」の規定により、各自治体の許可を得なければならないと定められています。

それでは、改葬についての手続きの仕方を説明いたします。

まず、現在お骨が埋葬されている墓がある市町村の役所に改葬許可申請を行い、改葬許可を受けなければなりません。(改葬許可申請書は各市長村によって様式が異なります)

次に改葬許可申請書に必要事項を記入したら、現在お骨を埋葬しているお墓の墓地管理者に管理者の証明印をもらって下さい。

改葬許可申請書には、故人の氏名、死亡年月日、本籍等記入すべきことがありますが、記入事項でわからないことがあれば、役所の方や墓地管理者におたずねください。

墓地管理者から必要な書類に証明印をもらったら、改葬許可申請書とともに役所に提出します。

提出すると「改葬許可証」が発行されます。

改葬許可申請の手続きが終わると、埋葬されている墓の管理者に対し、発行された「改葬許可証」を提示してお骨を取り出し納める納骨堂へと移動します。

そして、移動先の納骨堂の管理者に「改葬許可証」を渡し、お骨を納めます。

役所の書類とは別に納骨堂管理者の発行する書類を提出しなければならない場合もありますので納骨の際におたずね下さい。

また墓から納骨堂へお骨を移される際のお勤めについては、所属の寺院にご相談ください。

なお、改葬は人生の中で何度も経験することではありませんのでわからないことも多く出てくると思います。

改葬についてわからないことがあれば各市町村の役所や墓地・納骨堂管理者にご相談下さい。

盲亀浮木の譬え

古くから仏教に伝わるたとえの一つに「盲亀浮木」といわれるものがあります。

ある時、お釈迦さまが次のように問われました。

「比丘(仏弟子)たちよ、たとえばここに一人の人がいて、一片の軛(くびき:牛、馬などの大型家畜を犂や馬車、牛車、かじ棒に繋ぐ際に用いる木製の棒状器具)を大海の中に投げ入れたとする。そして、その軛には、一か所だけ孔(あな)があいていたとする。また、ここに一匹の目の見えない亀がいて、百年に一度だけ海面に浮かんできて首を出すという。はたして、この亀が海面に浮かんできた時、その軛の孔に首を突っ込むというようなことがあるだろうか」

すると弟子の一人が「お釈迦さま、もしそのようなことがあるとしても、それはいつのことになるかわかりません」と答えました。

それに対してお釈迦さまは

「比丘たちよ、その通りである。だが、百年に一度だけ海面に浮かぶ目の見えない亀が軛の孔に首を入れることよりも、なお希有(けう:めったになくめずらしいこと)なることがあると知らなければならない。それは、一たび悪しきところに堕ちたものが、ふたたび人の身を得るということは、さらに希有だということである。」

このお釈迦さまのたとえの真意を後代の仏教徒は、次のような偈をもって言い表し、その偈は今日に至るまで唱え続けられています。

「人身うけがたし、今すでに受く。
仏法あいがたし、今すでに聞く。
この身、今生において度せずんば、
いずれの生においてかこの身を度せん」

これを意訳すると、「私たちは今生まれ難い人間に生まれ、あい難い仏法に出あい、今その教え聞いている。このいのちのある間に覚りを得ることができなければ、次にいつ人間に生まれ、仏法にであい覚りを得ることができるかわからない。かならず、この機会に覚りを得なければならない」ということになります。

ところが、私たちは今ここに人間としてこの世に生を受けていますが、「これまで人間に生まれたことを喜んだことがありますか」と問われると、気がつけば私は既に人間として生きていましたから、よほど何か特別なことがなければ、自分が人間として生まれ、人間として生きていることに喜びを感じることはないかもしれません。

私たちは、自分が今ここにこうして生きていることをあまりにも当然のこととしています。

そして、普段の生活の中ではしばしば自分と他人を比較し、幸福と不幸の間をいったりきたりしながら、何となく何かが足りないと思い悩んだりしています。

そのため、その足りない何かを求めては右往左往しています。

この「何かが足りない」という思いは、言い換えると「何が足りないのか分からない」ということです。

自分がいったい何を求めているのか分からなければ、つまるところ何を手にしたとしても、決して本当の意味で満たされるということはないのではないでしょうか。

このように、求めても求めても決して満たされることのないあり方を仏教では「空過(くうか)」といいます。

源信僧都は「宝の山に入りて、手を空しくして帰ることなかれ」と述べておられます。

思い返せば、日常においては当たり前のように電気や水道等のある生活をしていますから、テレビを見たり、水を飲んだり、風呂に入ったり、自動車で移動したりする度、そのことについて特別な喜びを感じることはありません。

けれども、台風等の自然災害によって、電気や水道、ガスなどが止まったりすると、途端に生活に支障をきたしてしまいます。

そのため、それらが復旧すると、日頃いかにそれらによって支えられ快適な生活を送ることができているかを知らしめられることになります。

私たちは、仏法を聞くことによって初めて、人間に生まれ仏法を聞くことのできる人生は、まさに「宝の山」であることを知り、だからこそ真実の宝である「南無阿弥陀仏」のはたらきによって、このいのちが終わるとき、空しく砕け散っていくのではなく、人生最高の「成仏」というかたちで成就していくいのちを生きる私となることができたことを心から喜びたいものです。

平成30年5月法話『願われて生まれてきた 育てられてきた』(中期)

私たちは、それぞれ生まれた時から自分の「名前」を持っていますが、その名前は自から名のったものではなく、その多くは親の願いによって名付けられたものです。

一般に親は、子どもが母親の胎内にある時から「このような人に育ってほしい」とあれこれ願い、その期待を込めてわが子に名前をつけます。

そのような意味で、私たちは生まれる前から願われて生まれてきたのであり、そして生まれてから成人するまで、その願いのもとに育てられてきたのだと言えます。

けれども、生まれてから自分の名前を呼ばれることは数限りなくあっても、その度に自分の名前に託された願いを意識することはほとんどありません。

一方、生活していく中で、私たちは自分なりにいろいろなことを願い、その願いをかなえるために日々努力を重ねながら生きています。

その願いの具体的な内容は千差万別ですが、ひとことで言うと、私たちは誰もが「幸せになりたい」と思って生きているのだと言えます。

なぜなら、自分の思いがかなうと「幸せだ」と感じますし、自ら望んで「不幸になりたい」などと思っている人など、どこにも見あたらないからです。

そうすると「幸せになるための努力を積み重ねてきたのが人類の歴史だ」という見方もできますが、では時代が進むにつれて、少しずつでも幸せというものが具体化してきたかというと、どうもそのようには言えない気がします。

確かに、身の回りのことはとても便利で快適になってきましたが、若者を対象に行った意識調査で「将来、今よりよくなると思いますか」という質問すると、「良くなる」という答えは極めて低い数値しか示さないからです。

それは、「今より悪くなる」と考えている若者が多いということです。

確かに、地球の温暖化傾向に伴う気象変動により、世界各地で毎年のように深刻な災害が発生していますし、幸い世界大戦といわれるような多くの国を巻き込んだ戦争は第二次世界大戦以降勃発していませんが、イスラム国に象徴されるテロとの戦いは依然として終息する気配はありません。

国家間でも助け合い支えあうあり方は行き詰まりを見せ、自国のみの利益を追求する在り方が台頭し世界各地に蔓延し始めています。

また、地震国と形容される日本列島では、近い将来予想される大震災の発生とそれに連動する津波による大災害が懸念されています。

さらに、少子高齢化による人口減少とその影響による年金受給開始年齢の高齢化と給付額の減少、消費税も今の8%から来年は10%に上がることが決まっていますが、将来はさらに上がることが検討されるなど、未来における明るい話題はほとんど聞かれません。

そのため、若者への意識調査の結果は、むしろ妥当な数値かもしれないと、変に納得さえしてしまいます。

それでも、私たちは誰もが「生まれてからの願い」を持って生きています。

それは、自分の意識を持ち始めてからの願いと言えますが、その根底にあるのは「自分がかわいい」という思いです。

実は、私たちは生まれてからこれまで、その思いを一歩も離れることのないままに生きているのだといえます。

もちろん、その内容は人それぞれですから、みんな自分中心の生き方に終始することになります。

そのため、小は家庭から大は国家の問題にいたるまで、私たちの「自分がかわいい」という思いは抜き難く、私たちのあらゆる行動や暮らし方を染め抜いてしまっています。

そして、それがぶつかりあう所に争いが生じ、拡大していくと地域間や国家間での戦争という形で顕在化し、自らも傷つき他人も傷つける痛ましい行為が今日まで繰り返し続けられています。

ところで、仏教では人間を「機」という言葉で表現しています。

そして、この機を「微・宜・関」の三つの言葉で教えています。

「機微」とは、かすかなものをもっているもの、意識よりももっと深いところにいのちそのものの願いを持っているものというのが「微」という意味です。

そして、そのかすかなものは具体的には私の上にどのような形で現れるかというと不安です。

思えば、私たちは誰かに教えられたわけでもないのに、何かしら人生に不安を感じることがあります。

この不安とは何かというと「今のあり方は確かか」という問い返しです。

つまり、私の中に私のあり方を問い返すものがあるのです。

漠然とした感覚ではあっても、自分の生き方に不安を感じることがあるのは、おそらく今の私の生き方に「それでいいのか」と、何か問うものがあるからです。

私たちが意識しているのは、「自分がかわいい」という思いだけですが、その私に心の奥の深いところから「不安はないか」と問う意識が、かすかではあるものの確かにあるのです。

次に「宜」というのは、自分に先立って同じ道を歩んでいる人の言葉にうなずき感動する心です。

私たちは、みんな何かに深く感動する心を持っています。

例えば、テレビドラマや映画、スポーツなどを見て感動して涙することがあったりします。

けれども、始めから涙しようと思ってハンカチを握りしめていたりすることはありません。

感動してふと気がつくと、涙している自分に気がつくのです。

それは、頭でうなずいて感動するのではなく、感動している自身に気がつくということです。

これが「宜」です。

そして、気付いた時には、それは必ず歩みになります。

それが「機関」です。

機関というのは、エネルギーとかエンジンのことで、私たちは心の深いところからの促しによってうなずき、感動し、そしてうなずいた事実につき動かされて歩み始めます。

そういう存在として、私たちによびかけられているのが「機」という言葉です。

私たちの「生まれてからの願い」というものは、自分がかわいいということで塗りつぶされ、私たちはその思いだけで生きているのですが、しかしその一人ひとりの心の中にいのちそのものが求めている「生まれながらの願い」があります。

それは何かというと「人びと共に帰することのできる世界を求める心」です。

源信僧都が『往生要集』の中で地獄の様相を述べておられますが、一番深い無間地獄の苦しみを

われいま帰る所なし 孤独にして無同伴なり

という言葉で表しておられます。

「帰る所」とは、同伴者のいる所です。

この「同伴者」というのは、私の喜びを自分の喜びとし、私の悲しみを自分の悲しみとして、共に笑い共に泣いてくれる人のことです。

そうすると「私の人生を共に生きてくれる人が待っていてくれる所」が、私の帰れる所だといえます。

私たちは、誰もが自分でも意識しないような心の深いところで、そのような場を求めているのです。

そのような場を親鸞聖人は「浄土」という言葉であらわされました。

このような意味で、浄土とはすべての者の帰する所であり、すべての存在と敬いあい支えあいながら友として出遇える世界だといえます。

私たちは、親の願いのもとに生まれ育つと共に、その根底においては「人びと共に帰することのできる世界を求める心」、すなわち「生まれながらの願い」を呼び覚まそうとする、仏さまの願いの中を生きているのだと言えます。

悲しみの中にも、阿弥陀如来さまのお慈悲が感じられ

学生時代からお付き合いされていたというご主人を最近亡くされ、今毎週お寺にお参りにみえる女性がいらっしゃいます。

お勤め(お経)が終わった後、いつもお話しをさせていただいているのですが、その女性は、初七日の際「悲しくて、悲しくて、寂しくて、寂しくて、食事も摂ることが出来ません。家にいても泣いてばかりいます」とおっしゃっていました。

ご主人が亡くなられて2週間目、二七日のお参りにおみえになったときも、「一人きりになりました。家の中では泣いてばかり、かといって外出する気持ちにもなれません、悲しくて、寂しいです」と涙されていました。

3週間目、4週間目も同じようなご様子でした。

私は、「愛別離苦(愛するものと別れ離れていかなくてはならない苦しみ)」この計り知れない悲しみにうちひしがれている女性に、「阿弥陀如来さまはどんなときも一緒に悲しんでおられ、一緒に涙してくださっていますよ」。
そして「また必ず会わせていただける極楽浄土を阿弥陀如来さまはおつくりくださってます」というようなお話しをさせいただいていました。

5週間目 五七日のお参りの後に、女性は「実は、私は小さい頃から祖母に連れられて、近所のお寺にお参りに行っていたんです。学生の頃には、仏教青年会にも入っていたんです」と話されました。

そして「もしお経本があるならば購入して、私も一緒にお勤めしたいです」と言われたのです。

大切なご主人を亡くされて、毎週毎週、涙されておられ、もちろん今も悲しみは消えたわけではなく、毎日つらい思いをされていることには変わりはないのでしょうが、一緒にお勤めをしようというお心をもたれたのは、紛れもなく如来さまのお働きに違いないと思わずにはいられませんでした。

満中陰(七七日)法要の際には、一緒に『阿弥陀経』をお勤めさせていただきました。

悲しみの中にも、阿弥陀如来さまのお慈悲が感じられ、少し心があたたかくなりました。

父の背中

歯を磨きながら、「これだけゴシゴシと歯を磨いても、歯が擦り減ってなくなったとは聞いたことがない。

二十km四方の岩を天人の薄い羽衣でサッとなでる。それを百年に一度繰り返し、岩が擦り減ってなくなってしまう時間とはどれほどの時間なのだろうか?」

これは仏典に示されている一劫という時間の譬えです。

一劫が想像及ばないほど長い時間である事が伺えます。

阿弥陀仏が仏さまになられる前、法蔵菩薩と名のられた時に、その五倍である五劫の時間、どうしたらこの私を救えるか深く悩まれ、ご本願をお建てになったと言います。

お正信偈には「五劫思惟之摂受」とあります。

それから願いを成就すべく行を積み、阿弥陀仏となられました。

以前、勉強会で講師の先生から法蔵菩薩五劫思惟像という像があると教えていただきましたので、インターネットで調べてみることにしました。

そしたら頬はこけ、肋骨は浮き出て、骨と皮だけになった法蔵菩薩が片膝を立てて悩まれている写真が出てきて、それは一歩引いてしまうような写真でした。

この写真をみて、頭に浮かんだものがあります。

それは父の後ろ姿です。

中学生くらいまでは温泉にいくことも多く、父の裸を見ていたのですが、高校に上がってから温泉に行く機会もぱったり無くなり、父の裸を見ることもなくなりました。

ある日、「背中が痒いから薬を塗ってくれ」と頼むので、手伝うことにしました。

父は長いこと人工透析をしているため皮膚が弱くなり、よく痒くなるそうです。

服を脱いだ父の上半身は、想像していたものとは異なりました。

めっきり細くなってしまっていました。

背中にはあざのようなものがたくん散らばっています。

恐らく、掻きむしり、カサブタになっても掻きむしったのでしょう。

小さい頃見ていた父の背中とはかけ離れたものでした。

この背中は、病気のせいで細くなったと言ってしまえばそれまでですが、きっとこれは病気のせいではないのです。

これは、私を立派な大人に育てるために大変な苦労し、病気にもなり、ここまで細くなってしまったのです。

そう頂くと、有難いという思いと、こんなになるまで苦労をかけて申し訳ないという思いが浮かんでくるのです。

法蔵菩薩五劫思惟像のあの骨と皮になられた姿は、この私を救うためにこれほど細くなってしまわれたのです。

その有難さと、申し分けなさが私の口から「南無阿弥陀仏」と出てくださいます。

お蔭様で、私もお浄土へ参り、仏になる身にさせていただきました。

合掌