武士の生涯ほど、一刻一刻が、真剣で血まみれなものはない。
五十余年は夢の間だった。
なんであんな血なまぐさい生涯を、獣(けだもの)のように働いてきたか。
――人を斬っておのれが生きる道としてきたか。
果たしてそれが、国家のため、民くさのためだったろうか。
主君はそう受け取ってくれたろうか。
平家が亡んだ後の源家の政治は、果たして国民の幸福を増してきたろうか。
三郎盛綱はもだえた。
(怖ろしい、浅ましい。人は知らず、自分の肚(はら)の奥底を割ってみれば、そこには華やかな武者の道があって、ひたぶるに、君家のおんためという気持もあったが、何よりも自分を猛く雄々しくさせたものは、領地や位階であった、出世の欲望だった)
こう考えつくと、彼はたまらなくなった。
そしてついに、
(せめて、老後の一日だけでも、阿鼻叫喚の中からのがれて、こころのどかに、人らしく生きてみたいものだが――)
そう気づいてから先の三郎盛綱は、往年の烈しい気性を、急角度向きかえて、ひたぶるにそれを望み出した。
――実に、多年のあいだの宿望だった。
(領地が何か?位階が何か。
――あさましやおれはこれで釣られて、一生を屠殺で送ってきた)
館も財宝も、もう彼の眼には、芥としか見えなかった。
――だがすでに、彼の身は由々しき所領の大名となっていた、一族門葉(もんよう)も少なくはない、鎌倉との交渉も、簡単には参らない。
彼はそれを捨てることに、どんなに長い腐心を費やしたか知れない。
――すると、すでに鎌倉では、彼のそうした憂悶のあらわれを、敏感に知っていた。
三郎盛綱は、鎌倉に対して近ごろ不満をいだいているらしいと沙汰する者があったり、それに尾ひれを付け加えて、彼こそは油断のならぬ男で、今のうちに処置をせねば乱をなす者であろうと流言する者がある。
突然、鎌倉幕府では、彼が四十年に近いあいだ、幾千の部下の血と、自己や一族の刃(やいば)の働きで築き上げたところの城地を、何の理由も明示しないで、強制的に没収してしまったのである。
元の三郎盛綱なら、
(理不尽な致し方)と、激情して、一戦にも及んだであろうが盛綱は、その権謀術策の人々のすることを、笑って見ていることができた。
(この機に!)
彼は身一つになって、所領、位階、一族妻子、あらゆるものに袂別(べいべつ)を告げ、そしてまっしぐらに、多年のあいだよそながら慕っていた親鸞を遠くこの北国まで訪ねてきたのであった。
「この身の発心をあわれみ給うて弥陀がお手びき下されたことと存ずる。何とぞ、お慈悲をもってこの後の安住を老骨へおさずけ下されい」
親鸞の前へ出た三郎盛綱の偽らない物語りはこうだった。
――終始、じっと聞いていた親鸞は、
「無自覚の四十年五十年は夢中の一瞬です。おん眼(まなこ)をひらかせ給わば、一年も百年千年の生き心地を覚え給うに相違ない。何日(いつ)なとご発心はおそくはない。ようこそ来るべきところへ参られた、いでこの上は親鸞が、ご仏縁の仲だちをお授け申しあぐるであろう」
その夜すぐ、親鸞は彼のために剃刀を取った。
そして、法善坊光実という名を選んで授けた。