結婚を機に、嫁ぎ先の信仰に従わなければならないか。
このことは浄土真宗に限らず多くの皆さまも特に関心があるのではないでしょうか。
同じ宗門の家庭であればさほど気にすることもないでしょうが、信仰とは何か、そのことも踏まえながら考えてみたいと思います。
多くの方の中には例えば幼い時に、ご両親や祖父母に連れられてお寺やお墓参りに行ったり、家庭のお仏壇の前で見よう見まねで親のするように手を合わせたり、このことが宗教、信仰というものとの出会いの始まりではないかと思います。
そのような尊いお育てを経て家の宗教を知り、また親の後ろ姿から信仰に生きる姿勢を身近に感じ、慣れ親しんだ習慣として自分の身に受け継がれているものでもあるはずです。
長い長い時間と伝統の中で信仰の灯火が子や孫へと代々受け継がれてきた歴史と言えるかもしれませんね。
それが結婚を機に、嫁ぎ先のご宗旨に私も従わなければならないのかということですが、まず信仰ということについて申しますと、信仰は家のためではなく
「私の歩む道」
であるべきものです。
信仰は他の誰のためのではなく、私の宗として生きる姿が本来であります。
ですが、やはり嫁いだ以上夫やそのご両親の手前、自分はこの信仰ですからとはなかなか言えませんし、このことで家庭内の関係を悪化させてもいけません。
ここで大切に押さえておきたいことは、自分の宗旨以外の宗教を決して否定してはならないということです。
また逆に強制したりされてもいけません。
宗旨が違うからといってご法事に参列しなかったり、ご本尊を礼拝しないというのは大変失礼であり、相手のご宗旨以前に自分の信仰の姿勢を問い質さなければなりません。
信仰は誰のうえにも尊重されるべきものです。
私の存じ上げている方で、もうどちらもお亡くなりになりましたが、お父さんはクリスチャン、お母さんは浄土真宗門徒であったご家庭があります。
先にお母さんが亡くなりましたが、よくお寺にも参られ、仏教婦人会員としてもいろいろとお世話をいただいたことです。
お葬式の時はもちろん仏式で葬儀を行い、クリスチャンであるお父さんも喪主として参列されました。
またそのお父さんもクリスチャンとして日曜には教会の集いに参加されるなど信仰を大切にされる方で、葬儀もキリスト教式で行われました。
その息子さんが葬儀の最後に、
「私も、そして母も仏教徒でしたが、父は若い頃よりクリスチャンとして洗礼も受け、最後も父の信仰にもとづき、キリスト教式でお葬式を行いました」
と挨拶をされました。
私はこのことは大変素晴らしいことだと思いました。
夫婦、家族の中で信仰の違いを認め合い、お互いの信仰を大切に敬う環境は、まさにこの質問の理想的な答えでもあるように思います。
夫やその家族が自分と違うご宗旨であっても、その信仰は大切に尊重し、また自分の思いや信仰も尊重されなければなりません。
信仰そのものは何よりも私の歩む道であります。
自分の生き方として大きな指針となるものです。
家族でよく語り合いながら、信仰ということについてお互いが思いを深めていくがまず大切なことでありましょう。