「仏さまを拝んでいますか 欲望を拝んでいませんか」4月カレンダーの言葉

「散ることも、ひらくことも」

春になると、あたたかな風にのって、桜の花が咲き誇ります。
見上げた枝には花が咲き、地面にはすでに散った花びらが敷き詰められている。
ふと、その景色を眺めながら、ある思いが浮かびました。

「咲く花もあれば、散る花もある。でも、どちらも同じ風を受けているのだな」と。

私たちは、どうしても咲くことに意味を見出しがちです。始まり、新しさ、前進――そうした言葉に安心や希望を感じます。けれど、その陰には必ず、終わりや別れがあります。散ることに寂しさや喪失感を重ねてしまうのも、人として自然なことかもしれません。

でも、仏教の教えはこう語ります。「すべてのものは移り変わってゆく」と。咲いては散り、散っては土に還り、また芽を出して咲く。私たちのいのちもまた、そうしたつながりの中で生かされている存在なのです。

散る花を見ると、私たちは、儚さや無常感の中に寂しさや悲しさを感じます。しかし、花が散ることでこそ土が養われ、次の命が育まれていくととらえることができるのでは無いでしょうか。「終わり」に見えるものも、実は「はじまり」の準備をしているのかもしれません。

人生の中にも、思い通りにいかない時や、道が閉ざされたように感じる時があるでしょう。
けれど、その時にこそ、新たな気づきや出会いが育っていることもあるのです。

春の風を受けて、咲く花もあれば、散る花もある。そのどちらにも優しくまなざしを向ける仏さまの眼差しを、今年の春に、もう一度心にとめてみたいと思います。