「仏さまを拝んでいますか 欲望を拝んでいませんか」3月カレンダーの言葉

「その願いの先にあるもの」

「どうか、うまくいきますように」
「願いが叶いますように」
神社やお寺で、そう手を合わせたことのある方は多いと思います。
でも、少し立ち止まって考えてみてほしいのです。――その願いは、一体誰のためのものだったでしょうか。

「家族が健康でありますように」「子どもが合格しますように」と願うとき、たしかに“他人のため”のように思えるかもしれません。けれど、その願いが叶わなかったとき、私たちは悲しみや怒り、時には信仰への疑いすら抱いてしまう。
つまり、願いの裏には「自分が安心したい」「自分の思う通りになってほしい」という想いが隠れているのかもしれません。

仏教では、人は誰しも「思い通りに生きたい」という欲を持っていると説かれます。
でも現実は、自分の思い通りにはなりません。健康も、仕事も、人間関係も。コントロールしきれないからこそ、私たちは不安になり、願いを抱きます。

仏教の教えに触れると、「欲を持つことが悪い」とは説かれていないことに気づきます。問題は、その欲に振り回され、自分自身を見失ってしまうこと。
「これが手に入れば幸せになれる」と信じて、その“条件”を求め続けるかぎり、幸せは永遠にやってきません。

仏さまの教えは、そうした迷いの中にある私たちに「もうすでに、大切なことは与えられているんですよ」と語りかけてくださっています。
本当の安心は、何かを手に入れた先にあるのではなく、今の自分をあるがままに見つめ、受け入れるところから始まるのです。

願うことが悪いわけではありません。
でも、願う“その心”を見つめ直す時間も、とても大切なのです。