お墓に書かれている「倶会一処」とはどのような意味ですか?

命の別れの場面において、先立っていこうとする方とまた会いたい。

残してゆくものとまた会いたい。

そう誰しもが思うのではないでしょうか。

その願いを込めて墓石に倶会一処(くえいっしょ)と掘られるのでありましょう。

(最近は墓石に倶会一処と掘られる方は少なくなったと聞きます。)

倶会一処とは仏説阿弥陀経に出てくるお言葉です。

そこには

「舎利弗、衆生聞かんもの、まさに発願してかの国に生ぜんと願ふべし。ゆえはいかん。かくのごとき諸上善人と倶に一処に会することを得ればなり」

とあり、ここはお釈迦様が舎利弗に、素晴らしいお浄土の様子を聞いて、浄土へ生まれたいと願いなさい。

その理由は、浄土で勝れた菩薩方と会うことができるからですと語り掛ける場面です。

ここに出てくる倶会一処を、“お念仏申すものたちは、浄土にて必ずまた会うことができる”と味あわせていただくのです。

なぜまた会えるかといえば、阿弥陀様が“すべてのものを必ず浄土へ参らせる。

必ずまた浄土で会わせる”とお誓いくださり、今はたらいてくださっているからです。

大切な方を失う悲しみの中でこのおはたらきはどれほど頼もしく有難いことでしょう。

このはたらきを拒むことなく頂いている姿が南無阿弥陀仏のお念仏の姿です。

曇鸞大師が「同一に念仏して別の道なきが故なり」同じお念仏の道を歩むからこそ、同じ浄土へたどり着くのですとおっしゃるように、倶会一処は南無阿弥陀仏とお念仏称え生活してゆく先にあるものですから、今家族や友人とお寺に参りお聴聞を重ねお念仏を慶ばせていただきたいものです。