浄土真宗の門徒としてお盆をむかえるにあたり、迎え火、送り火は全く必要ありません。
そもそもお盆とは、正しくは
「盂蘭盆会」(うらぼんえ)といい、
浄土真宗では「歓喜会」(かんぎえ)ともいいます。
お釈迦様の弟子であった目連尊者が、亡くなった母を餓鬼道という苦しみの世界から救おうとして、その母に食物を与えるのですが救われず、お釈迦さまの導きで多くの僧侶に供養して初めて救われたという、
「盂蘭盆経」というお経の故事から起こった行事です。
すなわち、亡き母や特定の先祖に供物を捧げるというのではなく、自らが深く仏法に帰依して、限りなき仏さまのはたらきを仰いでいくことの大切さを、このお話は伝えています。
ですから、他の誰かではなく私自身が仏法を聴き、浄土へ生まれる真実の教えに目覚めいくことが、このお盆だけでなくすべてのご法事において、浄土真宗の門徒としての大切なこころ構えであると思います。
しかし、お盆も一般的には迷信的・俗信的な考えがかなり影響を及ぼしています。
先の「盂蘭盆経」の故事と「先祖の霊が帰る」
という日本独自の民間信仰が結びつき、現在の俗信的なお盆のカタチが生まれたものと思われます。
十三日には先祖の霊が家に帰り、十六日にはお墓に戻る、その行き帰りの目印として提灯が必要となり、送り火・迎え火が行われるようになったそうです。
浄土真宗では迎え火を焚いたり、精霊棚(しょうりょうだな)といわれる先祖の霊を迎えてもてなすために用意する棚など、死者の霊を迎えるためのさまざまな準備も必要ありません。
お飾りも一般の法要と同じように、菓子、果物といった供物をお供えし、花瓶や香炉を置く台(前卓・まえじょく)には、打敷(うちしき)という布を三角形状に敷けばよろしいでしょう。
なぜならご先祖はお盆の時期にだけに帰ってこられるわけではないからです。
いつでもこの娑婆世界に戻られ私たちを見守り、わたくしたちが如来さまのご本願を信じ、力強い人生を歩めるように、はたらいてくださっています。
ですからお盆をお迎えするのは、亡き人や特定の先祖の霊を供養するためではなく、亡き人を偲び、わが身・わがいのちを振り返る大切な時といただくべきでしょう。