仏壇にお供えするご飯を浄土真宗本願寺派では『仏飯(ぶっぱん)』と呼びます。地域や宗派によっては呼び名が異なりますが、いずれも同じご飯のことを指します。では、どうしてご飯をお供えするのかというと、私たちが日々の感謝の気持ちを表すため、主食であるご飯をお供えするという意味があります。動植物の命をいただいて日々を過ごすことが出来ることに感謝し、ご飯すなわち主食をお供えするわけです。決して仏さまに召し上がっていただくためではないのです。
ところが、最近は主食がパンの家庭も多くなり、以前は毎日当たり前のように炊いていたご飯を炊かない家庭も増えてきました。ご家庭によっては、ご飯でないとダメ、いやパンをお仏飯の代わりにお供えすればいい、といった具合に議論するところもあるようです。ただ、幸いなことに仏さまにお供えするということについてはみな同じ意見であることは大変尊いことだと思います。
正直申し上げまして、このことについては私ども僧侶でもおたずねになった方によっては回答が異なるかもしれません。私としてはパンのお供えでもよいのではないかと考えます。ありがたくいただく食べ物をお供えして感謝していくわけですから、尊いお心が備わっていると思います。もちろん仏前にご飯をお供えする時は、ご苦労の中でご飯を炊くわけですから、精一杯そのようにお供えをいただくことは大変すばらしいことかと思います。
大切なのは、お供えをとおして、日々の尊い命があること、すごすことができることを感謝していくことですから、物そのものにこだわりすぎずに、感謝の心をもってお供えいただけたらと思います。もちろんお供えいただいたものはパンであれご飯であれ、しっかりいただいて、命の糧とさせていただくようにしてまいりましょう。