今年も一期一会の日々が始まる 令和7年1月法話

新しい年が始まりました。今日という日は誰も歩んだことがない今日一日です。いつ・どこで・どういうご縁で縁つきてもおかしくないこの命が今、生かされていることが不思議なことであり、有り難いことであります。だからこそ今生かされてあることを改めて喜ばせていただくことです。

一期一会(いちごいちえ)とは、一期は仏教の言葉で人間が生まれてから死ぬまでの一生涯のことを意味します。ある辞書には一期一会とは、一生涯にただ一度会うかどうかわからぬほどの縁。出会いを大切にすることのたとえ。とあります。

千利休の弟子である山上宗二の本に「一期に一度の会」とあり、茶道でよく使われる言葉です。「この茶会と全く同じ茶会を二度と開くことはできない。だから茶会は常に人生で一度きりのものと心得て、相手に対して精一杯の誠意を尽くさなければならない」と茶道の心得を表した言葉であります。

親鸞聖人の祥月命日は1月16日です。京都の本願寺では親鸞聖人のご恩に報いる法要である御正忌報恩講(ごしょうきほうおんこう)が1月9日から16日まで勤まり、全国から僧侶・門信徒の方々等多くの方々がお参りされます。

その京都の御正忌報恩講の前後に全国各地のお寺・集落・家々において報恩講のお勤めが勤まります。俳句で報恩講は冬の季語であると聞かせていただきました。それくらい多くの方々にとっても親しみのある懐かしい言葉ではないでしょうか。

私がお預かりしているお寺では、10月から12月にかけてご門徒の家々にお参りする在家報恩講が勤まります。以前、在家報恩講である家をお参りしたときのことを思い出します。世話役さんに案内されて一軒いっけんお参りしていると、いつもはお参りしていない家へと案内していただきました。その家の方は福岡に住んでおられるのですが、報恩講のお参りがあると聞いてそのご縁にあわせて帰ってきてくださったのです。その方の年齢をたずねると、90歳でした。福岡から新幹線、そしてバスを使ってしかも1人で帰ってこられたのです。恐らく、その方のお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんがいつも報恩講のお参りを大切に大事にされていたその様子を小さい時から見ておられたのではないかと思うのです。だからこそまさに一期一会のご縁と頂き、報恩講にあわせて帰ってこられたと思うのです。そのお心に頭が下がる思いがしたことです。ご先祖の方々の報恩講そして親鸞聖人を大切に思う心がずっと連綿と受け継がれていることに心温まるおもいがしたことです。そのお姿を通して、1回いっかいのお参りのご縁を大切に大事にさせていただかなければ、もったいないことだと改めて感じたことです。今年も一期一会の日々が始まったことです。