投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

無量寿「われ限りない いのちを 生きる」令和6年1月法話

新年をお迎えしました。今日という日は二度と来ない今日一日です。新年にあたり改めてここに今日いのちいただいて生かされていることをしみじみと有り難くいただくことです。

新型コロナウイルス感染症の影響が長く続いている現状ではありますが、昨年の年末に地元の地域の自治会の忘年会が久しぶりに開催されました。まだまだコロナ禍ではありますが、withコロナを見越して少しずつ地域の行事も開催されつつあります。

私たちは、生・老・病・死という問題を抱えて生きています。アンチエイジング(抗老化)といわれますように、老化に抗い、エステや整形等いろんな努力をして表面上は若くみえても、やっぱり1年いちねん年を重ねていかなければなりません。そして縁がととのえば病気にもなります。そして死を避けることは誰にもできないのです。

その生・老・病・死の人生を生きていくなかで思い通りにいかない現実を避けていくのでなく真正面から引き受けて乗り越えていく智慧を与えてくださるのがお念仏のみ教えです。

親鸞聖人は35歳の時、念仏弾圧により越後(新潟県の国府)に流罪になられた時に、その不条理さに憤りを感じながらも、越後の方々にお念仏のみ教えをひろめていくご縁として受け止めて赴いていかれました。

どのような状況の中でも阿弥陀如来さまの智慧の光に照らされながら、そして過去・現在・未来を貫きいつでも見護ってくださるお慈悲のぬくもりにつつまれながら、その現実を受け止め力強く生き抜いていかれました。

今私たちは阿弥陀如来さまのおはたらきによっていつでもどこでも見護られ、支えられ、命の縁尽きたと同時に無量の寿をいただいてお浄土へと生まれ往き、必ずかならず仏とならせていただく身とさせていただいております。このことに思いをいたしながら今年もまた一日いちにちお念仏申す日暮らしを送らせていただければと思うことです。

 

今年も泣いた笑った生きてきた

泣いたり笑ったりして生きてきた今年一年も残りわずかとなりました。

泣きたいときに泣き、笑いたいときに笑っていられたら良いのですが、私の心は私の思い通りにはなりません。泣きたくなくとも悲しくなりますし、いつまでも笑って過ごしたいと思っていてもそうはいかなくなるものです。人のことを憎みたくないけれど、時には憎しみでいっぱいになることもあります。腹なんか立てたくないけれど、腹が立って仕方ない時もあります。人は思い通りにならない自分の心を思い通りにしようとすることで苦しんでいかねばならないのです。

真理を覚られたお釈迦さまは、

「自己は自分のものではない」

と説かれました。「自己」とは自分の身体と心のことです。この身体はいつか崩壊していくもので永遠不滅のものではありません。心は一瞬前のことが現在に続き、現在のことが一瞬後に続いていきます。この一連の流れが心であり、心は確かな実体があり存在しているのではないと仏教では説かれています。

ところが私たちは身体や心を永遠不滅のものと考え、実体視しています。そしてそれらを自分のものと思い込み執着していきます。いつかはなくなるものであり、すべて一時的なものであり、ましてや自分ものではありません。これに欲望をいだき、執着し、悩み苦しむのが私たちの姿であります。

そのような私の姿が確かな教えに出遇うことによって知らされます。

その確かな教えをよりどころとすることによって、悩み苦しむ迷いの生き方を離れていく道が明らかになってきます。

聴聞 ひたすら道を聞き開く

聴聞とは何か、仏法を聞くことです。浄土真宗ではこの聴聞をとても大切にします。なぜかというと、聴聞がそのまま私の信心になると言われているからです。聞くことが信心になると言われても、あまりピンと来ないかもしれません。しかし、この聞くという事の大切さを味わえるお話を聞かせて頂いたので紹介させて頂きます。

お笑いコンビのANZEN漫才に宮園大耕さんという方がいらっしゃいます。「みやぞん」という愛称で呼ばれテレビにもよく出られていますので、ご存じの方も多いのではないかと思います。いつも笑顔でたくさんの人を和ませてくれる方ですが、その背景には母親である宮園春奈さんの存在が大きいと言います。

宮園さんの家庭は複雑だと言います。全部で5人の子どもがおりますが、長女・次女の父親、三女・四女の父親、末っ子の大耕(みやぞん)さんの父親はそれぞれ違うと言います。春奈さんは3度の離婚を経験しており、いろいろあって最終的にこの5人の子ども達と生活することになります。いわゆる母子家庭です。母親1人で5人の子どもを育てるのは、とても大変なことだったと思います、しかし、春奈お母さんはまったくへこたれてなかったと言います。いつも明るく前向きに子ども達と向き合っていたといいます。

大耕さんが国語で0点を取った時も「0点、大丈夫!元気で楽しく生きてくれればそれだけでいいんだからね!」と怒られるどころか励まされたと言います。また、高校の部活で野球のユニフォーム代がかかる時も「大丈夫!プラッチコウ!」(※プラッチコウとはプラス思考の略語のようです)と大事な指輪を質に入れて、ユニフォームを買ってくれたそうです。大耕さんは自分の為にいつも一生懸命な母親の気持ちがうれしく、その気持ちを今も大切にしており、いつか質に入れた指輪も取り戻し、本人に返したいと言います。

『とにかく明るく楽しく生きてほしい』春奈お母さんが大切にしてきた事だと言います。決して裕福ではない家庭の中でもアイディアと工夫、そして、大きな言葉によって子ども達を育ててきたことが伺えます。今のお笑い芸人・宮園大耕(みやぞん)さんはこのお母さんの大きな言葉によって生み出されたのではないかと思わされます。

仏教で大切なのは聴聞だと言います。聴聞とは聞くことです。一体何を聞くのでしょうか、それは大きな言葉だと思います。大きな言葉とは「あなたが大切ですよ」「あなたはあなたで良いんだよ」と存在そのものを認めてくれる言葉ではないかと思います。そして、その言葉は聞いたその人を支える大きなはたらきになってくれるのではないかと思わされます。

聴聞という事を通して、私たちも日々たくさんの言葉を聞いているのではないかと思います。家庭、仕事場、学校もそうですが、テレビ、ラジオ、インターネットなど色んなものを通して言葉に触れる時代だと思います。その中でどんな言葉を聞くのか、私の中に入れていくのか、それはとても大切な問題ではないかと思います。自分を認め、そして育んでくれる言葉、私の人生をもっとも底から支えてくれる仏様の言葉をこれからご一緒にお聞かせにあずかれば大変に有り難いことではないかと思います。

秋彼岸 いのちの灯が相続されていく

今から遡ること46億年前に地球が出来たと言われます。その後に海ができて、45億年前に最初の単細胞生物が生まれたと言われます。それから45億年をかけて今私がここに人として生きています。

今のところ、その単細胞生物が枝分かれしながら進化して人間になっていったとされています。そうであるならば、この世界に最初の生命が誕生して、私が生まれるまでに一体どれだけの命が繋がってきたのだろうかと不思議な気持ちになります。何億、何兆、いやもっと多くの命が私が生まれるためにいのちを繋いでくれたと言って間違いではないかと思います。

お彼岸は、パーラミター(彼岸に到達する)という言葉がもとになったものです。彼岸とは、彼の岸=お浄土を意味します。春と秋の春分・秋分の日を挟んで一週間がそれにあたります。

仏説阿弥陀経には「これより西の方十万億の仏国土を過ぎて世界あり、名づけて極楽という」と、浄土の方角を西方にあると説かれています。

童謡に「夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る おてて繋いでみな帰ろう カラスと一緒に帰りましょ」と、歌われています。夕方になると西の方に日が沈み、カラスも私たちもそれぞれ家路に着くという情景を歌ったものです。

日の沈む西の方は、一日を終えて家路に着く、帰って行くところを意味しています。西方浄土は、いのちの帰するところ。浄土に往き生まれた懐かしい方々が、仏となって私にはたらき、私が到彼岸するのを待っていて下さるいのちの世界です。

多くのお寺で彼岸会の法要がつとまっています。お彼岸を縁として、私にいのちを繋いでくださった人々へ感謝の思いを胸に、お聴聞していきたいものです。

 

お葬式は必要?

近年、『お葬式のあり方』についていろいろと取り沙汰されています。

私が小さい頃は自分の家でお葬式を行うところがほとんどでした。

近所の方が集い、お手伝いをしてみんなでお葬式の列を見送る光景は今では全く見られなくなりました。

最近はほとんどが葬儀場で行われます。

そしてさらには従来の葬儀の形式にとらわれないやり方もあるようで、宗教色のない「お別れの会」をする方も増えているそうです。

もっと驚くことには、お葬式自体を省略してそのまま火葬を行う「直葬」の形を取る形式が都会などを中心に増えていると聞きます。

そして、お骨を宅急便で田舎に送ってくるなどという話をうかがいますと、時代の移り変わりを思わずにはいられません。

時代とともに家族のあり方が変わり、近所とのつきあい方も変わりますので、『お葬式のあり方』も変わってくるのは必然なのでしょうが、『直葬』はあまりにひどい話ではありませんか?

わが家ではこの夏、カブト虫を1匹とクワガタ虫を5匹飼っていました。

子どもたちがこの6匹にそれぞれ名前をつけ(相撲好きな我が子らは全部に相撲取りの名前をつけました)、毎日エサをやったり霧吹きをかけたりして大切に育てておりました。

しかしやはり虫にも寿命があり、夏が終わる頃から1匹2匹と動かなくなっていきました。

最初に亡くなったのが、息子がとてもかわいがっていたオスのカブト虫の「琴恵光」でした。

ひっくり返った姿勢から元に戻れなくなり、ついにある朝動かなくなりました。

以前もクワガタ虫を飼っていた経験から、いつかはお別れの日が来ると知ってはいたようですが、息子はとても悲しみ、みんなでお葬式をすることになりました。

家のお仏壇の前にカブト虫の亡骸を置いて、通常のお葬式と同じ表白を読み、みんなでお経をあげ、お焼香をしました。

最後に白骨の御文章を拝読してお葬式が終わると、息子をはじめ家族全員なぜか心が落ち着きました。

またの再会を願いながら、いつも登下校の時に通るキンモクセイの木の下にお墓を作りました。

その後しばらくしてからクワガタ虫たちも秋風とともに次々と命を終え、そのたびにお葬式をして同じ場所にお墓をつくりました。

子どもたちはいつも学校への行き帰りに「みんな、いってくるね。」「ただいま。」と声をかけています。

こうしてみると、『お葬式』はやっぱり必要だなと実感します。

縁あって出会い、別れるときに一つの大切な区切りとして、自分の気持ちと向き合う場として、亡くなった人の人生を振り返る場として、いつか来る自分自身の死を見つめる場として…おろそかにはできません。

虫たちのお葬式の時、家族で自分たちもこうして別れる日が来るんだと話しました。

私の母が「ばあばもいつかこうして亡くなる日が来るから、その時はお葬式をよろしくね。」と言うと、息子がしばらくはしんみりしていましたが、「ばあば、まかせて!ぼくがちゃんとお墓も作ってあげるから」と決心したように力強く答えました。

 

 

 

ひらかれていた道といのち(後期)お念仏は言葉になった仏さま

近角常観(ちかずみじょうかん)というお坊さんがおられました。

東京大学の目の前に求道(きゅうどう)会館をお建てになり、若者たちに親鸞聖人のみ教えを伝え広めた方です。

大正11年に相対性理論で有名な天才物理学者のアインシュタイン博士が来日された際に「日本の仏教者と話をしたい」とお望みになったのですが、博士のお世話係を務めていた若者が、この方しかいないと心の中に思い浮かんだのが近角先生でした。

そして近角先生とアインシュタイン博士の対談が実現しました。

近角先生は求道会館ではいつも阿弥陀さまのお話、お念仏のお話をなさっていましたが、アインシュタイン博士に対して例え話として話されたのが棄姥(きろう)伝説でした。

雪深い寒村で食い扶持を減らすために村の掟に従い、年老いた母親を息子が山奥に捨てに行くという話です。

息子の背中に負ぶられ山奥に連れられていく母親は、道中手の届くところの枝を次々に折っていきます。

ついに捨て場所に着き、母親を置いて息子が山を下りて行こうとしたとき、息子の背中に向かって母親が言うのです。

「お前よ、気をつけて帰るんだぞ、お前の帰り道は枝を折っておいたから、迷わないようにして帰るんだぞ」という内容です。

「奥山に枝折るしおりは誰がためぞ、親を捨てんと急ぐ子のため」という歌にもなって伝わっています。

お念仏というのは、言葉になった仏さまです。

仏さまがこの私を憐れに思って、一方的に言葉にしてくださったのが「南無阿弥陀仏」というお念仏です。

昨年8月の朝日新聞の声欄にこのような寄稿がありました。

(主婦上杉たつさん、熊本県89歳)父は早くに亡くなり、我が家の父がわりだった長兄、上の兄は熊本から朝鮮半島にわたり教師になって間もなく現地で招集されました。

兄の部隊が福岡にいるとの報が届いたのが44年夏、明日出港と聞いて母と駆けつけ、翌朝近くの神社で兄と会いました。

兄は支給されたばかりのキャラメルを私の手に握らせ「お前は先生になっておっかさんの世話を頼む」16歳の私は何か言えば泣きそうで頷くばかりでした。

母には「輸送船10艙のうち3艙が目的地に着けば良いほうといいます。今日が最後の別れと思ってください」母は気丈でした。

「もしもの時が来たらあんたは南無阿弥陀仏と称えなさい。何も分からんでよか、南無阿弥陀仏を」

いよいよ出発のとき、点呼が始まり「いち」「に」「さん」「し」の後「ご」と、ひときわ大きな兄の声が響きました。

それが兄の最後の別れの挨拶でした。

マニラ沖30マイルで撃沈、最後の知らせにはそうありました。

今から何かを・・・と思っても間に合いません。

今すでにひらかれていないと間に合わない私たちにくださったのが「南無阿弥陀仏」のお念仏です。

ありがたいと思うから念仏をする、ありがたいと思わないから念仏しない、そういうことではなくて、お念仏できること自体が実はありがたいのだと思います。

すでにひらかれていた道がお念仏の仏道です。

共々にお念仏を称える中で、お浄土への日暮らしを歩ませていただきたいと思います。