投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

お葬式は必要?

近年、『お葬式のあり方』についていろいろと取り沙汰されています。

私が小さい頃は自分の家でお葬式を行うところがほとんどでした。

近所の方が集い、お手伝いをしてみんなでお葬式の列を見送る光景は今では全く見られなくなりました。

最近はほとんどが葬儀場で行われます。

そしてさらには従来の葬儀の形式にとらわれないやり方もあるようで、宗教色のない「お別れの会」をする方も増えているそうです。

もっと驚くことには、お葬式自体を省略してそのまま火葬を行う「直葬」の形を取る形式が都会などを中心に増えていると聞きます。

そして、お骨を宅急便で田舎に送ってくるなどという話をうかがいますと、時代の移り変わりを思わずにはいられません。

時代とともに家族のあり方が変わり、近所とのつきあい方も変わりますので、『お葬式のあり方』も変わってくるのは必然なのでしょうが、『直葬』はあまりにひどい話ではありませんか?

わが家ではこの夏、カブト虫を1匹とクワガタ虫を5匹飼っていました。

子どもたちがこの6匹にそれぞれ名前をつけ(相撲好きな我が子らは全部に相撲取りの名前をつけました)、毎日エサをやったり霧吹きをかけたりして大切に育てておりました。

しかしやはり虫にも寿命があり、夏が終わる頃から1匹2匹と動かなくなっていきました。

最初に亡くなったのが、息子がとてもかわいがっていたオスのカブト虫の「琴恵光」でした。

ひっくり返った姿勢から元に戻れなくなり、ついにある朝動かなくなりました。

以前もクワガタ虫を飼っていた経験から、いつかはお別れの日が来ると知ってはいたようですが、息子はとても悲しみ、みんなでお葬式をすることになりました。

家のお仏壇の前にカブト虫の亡骸を置いて、通常のお葬式と同じ表白を読み、みんなでお経をあげ、お焼香をしました。

最後に白骨の御文章を拝読してお葬式が終わると、息子をはじめ家族全員なぜか心が落ち着きました。

またの再会を願いながら、いつも登下校の時に通るキンモクセイの木の下にお墓を作りました。

その後しばらくしてからクワガタ虫たちも秋風とともに次々と命を終え、そのたびにお葬式をして同じ場所にお墓をつくりました。

子どもたちはいつも学校への行き帰りに「みんな、いってくるね。」「ただいま。」と声をかけています。

こうしてみると、『お葬式』はやっぱり必要だなと実感します。

縁あって出会い、別れるときに一つの大切な区切りとして、自分の気持ちと向き合う場として、亡くなった人の人生を振り返る場として、いつか来る自分自身の死を見つめる場として…おろそかにはできません。

虫たちのお葬式の時、家族で自分たちもこうして別れる日が来るんだと話しました。

私の母が「ばあばもいつかこうして亡くなる日が来るから、その時はお葬式をよろしくね。」と言うと、息子がしばらくはしんみりしていましたが、「ばあば、まかせて!ぼくがちゃんとお墓も作ってあげるから」と決心したように力強く答えました。

 

 

 

ひらかれていた道といのち(後期)お念仏は言葉になった仏さま

近角常観(ちかずみじょうかん)というお坊さんがおられました。

東京大学の目の前に求道(きゅうどう)会館をお建てになり、若者たちに親鸞聖人のみ教えを伝え広めた方です。

大正11年に相対性理論で有名な天才物理学者のアインシュタイン博士が来日された際に「日本の仏教者と話をしたい」とお望みになったのですが、博士のお世話係を務めていた若者が、この方しかいないと心の中に思い浮かんだのが近角先生でした。

そして近角先生とアインシュタイン博士の対談が実現しました。

近角先生は求道会館ではいつも阿弥陀さまのお話、お念仏のお話をなさっていましたが、アインシュタイン博士に対して例え話として話されたのが棄姥(きろう)伝説でした。

雪深い寒村で食い扶持を減らすために村の掟に従い、年老いた母親を息子が山奥に捨てに行くという話です。

息子の背中に負ぶられ山奥に連れられていく母親は、道中手の届くところの枝を次々に折っていきます。

ついに捨て場所に着き、母親を置いて息子が山を下りて行こうとしたとき、息子の背中に向かって母親が言うのです。

「お前よ、気をつけて帰るんだぞ、お前の帰り道は枝を折っておいたから、迷わないようにして帰るんだぞ」という内容です。

「奥山に枝折るしおりは誰がためぞ、親を捨てんと急ぐ子のため」という歌にもなって伝わっています。

お念仏というのは、言葉になった仏さまです。

仏さまがこの私を憐れに思って、一方的に言葉にしてくださったのが「南無阿弥陀仏」というお念仏です。

昨年8月の朝日新聞の声欄にこのような寄稿がありました。

(主婦上杉たつさん、熊本県89歳)父は早くに亡くなり、我が家の父がわりだった長兄、上の兄は熊本から朝鮮半島にわたり教師になって間もなく現地で招集されました。

兄の部隊が福岡にいるとの報が届いたのが44年夏、明日出港と聞いて母と駆けつけ、翌朝近くの神社で兄と会いました。

兄は支給されたばかりのキャラメルを私の手に握らせ「お前は先生になっておっかさんの世話を頼む」16歳の私は何か言えば泣きそうで頷くばかりでした。

母には「輸送船10艙のうち3艙が目的地に着けば良いほうといいます。今日が最後の別れと思ってください」母は気丈でした。

「もしもの時が来たらあんたは南無阿弥陀仏と称えなさい。何も分からんでよか、南無阿弥陀仏を」

いよいよ出発のとき、点呼が始まり「いち」「に」「さん」「し」の後「ご」と、ひときわ大きな兄の声が響きました。

それが兄の最後の別れの挨拶でした。

マニラ沖30マイルで撃沈、最後の知らせにはそうありました。

今から何かを・・・と思っても間に合いません。

今すでにひらかれていないと間に合わない私たちにくださったのが「南無阿弥陀仏」のお念仏です。

ありがたいと思うから念仏をする、ありがたいと思わないから念仏しない、そういうことではなくて、お念仏できること自体が実はありがたいのだと思います。

すでにひらかれていた道がお念仏の仏道です。

共々にお念仏を称える中で、お浄土への日暮らしを歩ませていただきたいと思います。

 

 

平成30年11月法話『愚痴の出る口から お念仏がこぼれる』(後期)

あなたは、愚痴や文句を言わない、又は、思わない日が年間どれくらいあるでしょうか。

私自身は1日もないように思います。

もしかすると、朝起きて朝食を食べるまでの短い時間でさえ、愚痴・文句・不満のどれか一つが毎日浮かんできているかもしれません。

いつからこんなに不平不満、愚痴や文句を言う(思う)ようになったでしょうか。

小さい頃は、「はい」と両親や先生の話を素直に聞いて返事ができていたはずなのに、歳を重ねる毎にだんだん変化していきます。

素直に聞くことは簡単なようで、実はとても難しいのかもしれません。

大人になって知識や経験が増えれば増えるほど、人と話をしていても心の中や頭の中で違うことを考え、そうじゃないのにと思うことが増えてはいないでしょうか。

よく世間話や井戸端会議では、人を褒める話はあまり長続きしないが、人の事を評価したり批評するような会話は終わりがないほど続くことがあるようですが、口は災いの元とも言いますので、勝手に話が大きくなったり、言っていないことまで言ったことになり大きなトラブルになることもあります。

言葉に消しゴムは使えないと聞いたことがありますが、やはり私たちは日常の暮らしの中でも気をつけなければならないと思います。

数年前から、京都にある龍谷大学の学生たちが「グチコレ」という活動を続け、「あなたのグチを聞かせてください」と路上で傾聴し、インターネット上に集められたグチを公開しています。

愚痴を発することで、自分の本心・本音に気付いてもらう。

そして一人じゃないという気持ちと、誰もが願われている命なのだということを知ってほしいという活動です。

どんな愚痴も聞いてくださり、あらゆる声を聞き逃さず、どこまでもこの私に寄り添い続けてくだるのが仏様です。

仏様のお顔を思い浮かべてみてください。

とても大きな耳をしておられますが、これはどんな声も聞き逃さないというお姿がお顔にもあらわされています。

辛いこと、苦しいこと、自分ではどうしようもできないと思える困難なことに直面することもあるのが人生です。

時に道を踏み外してしまうこともあるかもしれません。

そんな時は、どうぞお寺にお越しいただき、思いっきり仏様に愚痴を言ってみてはいかがですか。

どこまでいっても愚痴のこぼれるこの私の口・人生であるかもしれないけれども、同時に「南無阿弥陀仏」と間違いなく仏様のお喚び声がこぼれる口・人生です。

そこには必ず仏様が寄り添ってくださっています。

お喚び声とは、必ず救う我に任せよという、仏様から私に向けられたものです。

慌ただしい日常かもしれませんが、必ず救うと言ってくださる仏様の声に素直にお返事しながら過ごすことのできる時間が、お互いに少しでも多くありたいものです。

南無阿弥陀仏

正信偈には、どのようなことが書かれているのですか?

正信偈(しょうしんげ)は、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人がお書きになられた『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)』という聖典の中の一節です。

『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』あるいは『御本典(ごほんでん)』とも言われます。

『顕浄土真実教行証文類』は「教文類(きょうもんるい)」「行文類(ぎょうもんるい)」「信文類(しんもんるい)」「証文類(しょうもんるい)」「真仏土文類(しんぶつどもんるい)」「化身土文類(けしんどもんるい)」の6巻でできています。

この中の「行文類」の最後のところに正信偈が出ています。

正信偈は7言60行120句の漢詩で、正式には「正信念仏偈」といい、念仏を正信する偈(うた)という意味で浄土真宗の教えの要が凝縮されています。

正信偈は大きく3段にわけることができます。

まず、冒頭の2句「帰命無量寿如来 南無不可思議光」を「帰敬序(ききょうじょ)」といいます。

「限りない命の如来に帰命し、思い量ることのできない光の如来に帰依したてまつる」と、阿弥陀如来からいただかれた信心が、この2句に表明されています。

次に「依経段(えきょうだん)」(法蔵菩薩因位時~難中之難無過斯)は、『仏説無量寿経』によって阿弥陀如来と釈尊の徳を讃えられた章です。

『仏説無量寿経』は、親鸞聖人が真実の教えが説かれているために大切にされた経典で「依経」とは「この経典に依る」という意味です。

この章では、まず阿弥陀如来がすべての衆生を救う願いを起こし建立されたお浄土と、そこに生まれる道が説かれています。

続いて、釈尊がこの世に出られた理由は阿弥陀如来の願いを説くためであったことを讃え、最後に阿弥陀如来からいただいた信心の徳が表されています。

後半の「依釈段(えしゃくだん)」(印度西天之論家~唯可信斯高僧説)はインド・中国・日本と3国にわたって、この教えを伝えて下さった7人の高僧方(7高僧)を讃える章です。

7高僧は、インドの龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)・天親菩薩(てんじんぼさつ)。

中国の曇鸞大師(どんらんだいし)・道綽禅師(どうしゃくぜんじ)・善導大師(ぜんどうだいし)。

日本の源信和尚(げんしんかしょう)・源空聖人(げんくうしょうにん)です。

この高僧方は、釈尊の説かれた教えを、それぞれの時代の中で自らの生き方を通して検証され、また、著書(論釈)によって独自のもののとらえかたをおしめしくださいました。

正信偈にはおおまかに以上のようなことが書かれてあります。

親鸞聖人が釈尊のまことの教えに帰依し、7高僧の書かれた書物を拝読し、阿弥陀如来のご恩の深いことを知り、報謝のために書かれたのが正信偈です。

私たちも正信偈を拝読し、お勤めさせていただき、その深いお心を味わいたいものです。

解説書を読んでみたり、お寺でお聴聞を重ねてさらに味わいを深めていただければと思います。

 

 

ひらかれていた道といのち(中期)親鸞聖人が明らかにされた阿弥陀さまの「本願」

仏教には多くの仏さまがおられますが、浄土真宗の仏さまは阿弥陀如来です。

インド語で「アミター」といい、それを漢字で表記したのが「阿弥陀」です。

カタカナ3文字の後半「ミター」は「量る」という意味です。

この「量る」というのは、すべて限りがあるということを意味しています。

最初の「ア」は非常口の「非」とか、可否の「否」または「無」という意味を表しています。

ですから「ア」と「ミター」が合わさった場合には「量ることができない」ということで「無限」とか「無量」というような意味になります。

何について量れないのかというと、これもインド語で「アミターユース」とか「アミターバー」という言葉があり、「アミターユース」いうのは寿命、時間です。

寿命が限りない仏さまがアミター(阿弥陀)です。

「アミターバー」は「光」という意味で、仏さまのひかりが限りのないことを表しています。

阿弥陀さまは、いつでもどこでも私たちを救うはたらきを止めることがない、そういう仏さまであると名前で表しておられるのです。

阿弥陀さまは西方のお浄土におられて、生きとし生けるすべてのものを「必ず救うぞ」と呼び続けていらっしゃいます。

どのように救ってくださるのかというと、すべてのものを「南無阿弥陀仏」と念仏する身に育て上げ、そしてお浄土に生まれさせて「仏(ぶつ)」とならせ、真理に目覚めさせる、そういう救い方です。

私たちは旅行をし、温泉に入り、ごちそうを食べ、お酒を飲み、カラオケで歌い、そんなことを日々の喜びや楽しみとし、そんな機会に多くあやかりたいと望みがちですが、そんな私たちに向かって、仏さまは「お浄土に生まれさせて仏とならせるぞ」とおっしゃいます。

私たちの願いと仏さまの願いとは食い違っているかのようですが決してそうではありません。

「良いことをしましょう、悪いことを慎みましょう」という言葉は3歳の子どもでも知っていますが80歳の人でもその通りにできるかどうかはわかりません。

このことが大きな問題です。

良いことをして悪いことを慎むということは常識や道徳に合致していて、とても分かりやすい。

分かるけれどもその通りできているかと問われれば、返答に窮することがあります。

教えがいくら立派で尊くても、自分とかけ離れたものであったならそれは教えとして成り立ちません。

そのことを突き詰め、身をもって悩み、仏さまに教を仰ぎながら生きられたのが親鸞聖人です。

1173年に生まれ1263年に亡くなられるまで90年のご生涯で阿弥陀さまの教えをお喜びになり、そしてその内容を私たちに明らかにしてくださいました。

多くの書物を残しておられますが、その書物も大体50歳以降、特に80歳代ぐらいになってから多く著しておられます。

「歎異抄(たんにしょう)」という書物の中に「さるべき業縁(ごうえん)のもよほさば、いかなるふるまいもすべし」という一文があります。

「業縁」とは、いろいろな条件の巡り合わせによって、私たちはどんな極悪な行ないをもしうる可能性をもっているということです。

「業」とは、結果を導く原因をもった力という意味です。

仏教では「三業(さんごう)」といい、「身・口・意(しん・く・い)」という結果を引く心と体の動きのことを表しています。

また、親鸞聖人は仏さまが自分のことを「憐れでならない」とおっしゃっていると書かれています。

この「憐れ」という字ですが、左側はりっしんべんといい、心が立つことを表しています。

右側のつくりは「米」のしたに「舛」で、ゆらめきながら灯り続いている火を表しています。

心が立って、ゆらめき続けている火のような状態が「憐れ」という字の意味です。

つまり、一方的な願いが続いていることを言い表しています。

一方的な願いがかけ続けられているから私を憐れんでくださっているということです。

仏さまは「どんどん遠ざかっていくあなたを何とかせずにはおれない」とおっしゃいます。

親鸞聖人が明らかにしてくださったお念仏の仏教のスタート地点はまさにここです。

良からぬ方角に向かっていく人間を救ってお浄土へ迎える。

これが仏さまの根本の願い(本願)なのです。

仏さまが一方的に願いをかけ続けてくださっているのです。

本願寺派の僧侶育成体系創出について

浄土真宗本願寺派が平成27年から推進している宗門総合振興計画の重点項目に「僧侶の本分の励行」が設定されています。

先日、本願寺鹿児島別院で催された「公聴会」の中で、そのことについての説明がありました。

これを具体的に協議検討するために立ち上げられた「僧侶育成体系プロジェクト委員会」(学識経験者・宗派研修機関代表、坊守や婦人会の代表らで構成)において、「僧侶や寺院が社会から求められていることに応えなければ、法灯の継承は困難になる。

それには、社会からの視点を踏まえた僧侶や教師などの新たな育成体系の創出が必要だ」として、今年の2月に「育成体系創出にかかる具体策」がまとめられ、次のような指針が示されました。

その中の僧侶育成に関しては、

僧侶になるにあたっての各種研修会は、次の要件を観たし、僧侶としての自覚を促す育成体系を創出する。

  1. 仏道及び親鸞聖人のご苦労に学び、宗法第22条の規定による「得度誓約」とご親教「念仏者の生き方」に照らし、自己の生き方を問う習慣が芽生えるものとする。
  2. 僧侶として必要な知識・技能を習得できるものとする。

と、述べられています。

では、新たな育成体系で何がどう変わるのかというと、僧侶資格となる「得度」では2つの事柄が改められています。

1つめは、得度の前段階です。

本願寺派では、得度にあたっては、11日間の「得度習礼」を受講した上で得度式を受式してきました。

そして、これまでこの得度習礼を受講するための資格として、「得度考査」に合格することが必要でしたが。

得度考査は、全国各地の教務所で随時実施され、筆記試験と読経の実技、面接があり、100点満点で60点以上なら「合格」となります。

ただし、本願寺派の宗門校の卒業生や、中央仏教学院所管の通信教育専修課程を履修して卒業試験に合格した者は、得度考査は免除されていました。

新たに育成体系では、この免除制度が廃止され、呼称も得度考査から「得度試験」に改めて、得度を申請する者は、全員が試験を受けて合格することが必要になります。

2つめは、得度習礼期間中に天台宗総本山延暦寺の研修道場・居士林での修行研修が義務付けられることです。

現在、得度習礼は京都市西教区の本願寺西山別院で10泊11日の研修を行っていますが、このうちの1泊2日を比叡山での研修に充てるというのです。

その理由として、「比叡山研修は、親鸞聖人の比叡山でのご苦労を体感すること」が目的として示されています。

この比叡山研修には「意識づけという意味では面白い」という肯定的な見方が聞かれる反面、「得度習礼は学ばないといけないことが多くて、ただでさえ分刻みのスケジュールなのに、1泊2日も比叡山に行く意味があるのか」といった否定的な意見も聞かれるそうです。

公聴会の中で、「本来得度習礼を受講する者は、事前に浄土真宗についての基礎的な知識を十分に学び、お経についてもきちんと読めるようになった上で臨むべきだが、理解度についての試験を行うと合格点に達しないものが半数以上いたり、お経もほとんど読めなかったりするなど、受講者の資質は憂うべき状況にある。

特に、得度考査を免除された者において、そのような傾向が顕著に見られる」とのことでした。

それを聞いて唖然とすると同時に、今回得度考査の免除制度が廃止され、得度試験になることは首肯できました。

けれども、比叡山研修については、いくつかの点で疑問を感じました。

1つめは、「親鸞聖人の比叡山でのご苦労を体感する」ということですが、果たして1泊2日でそれが可能かということです。

周知の通り、親鸞聖人は比叡山で9歳から29歳まで20年もの間、真摯に学問と厳しい修行に励まれました。

そのご苦労をわずか1泊2日で体感できるとは到底思えません。

かつて、研修会講師養成実習で、宇治の黄檗山萬福寺に1泊2日の体験研修に行ったことがあります。

座禅も組ませていただいたりしましたが、わずか2日間では座禅体験程度のことしか体感できませんでした。

毎年夏休み期間に2日間、中学生や高校生が保育園や子ども園に職場体験に来ますが、おそらくあれと似たようなことしか体感できなかったのではないかと思っています。

というのは、中高生があとから感想文を送ってくれるのですが、それを読むと、自分が感じたこととあまり変わらないような事柄が記載されているからです。

2つめは、親鸞聖人は比叡山では無明の闇がはれることはなく、ついに山を降りて法然聖人のもとに足を運ばれ、ようやく信心決定されました。

したがって、比叡山の研修施設で1泊2日の修行体験をするよりも、得度に際してそのご苦労を偲ぶのであれば、先ずは得度をなさった青蓮院、次に比叡山では聖人が修行に勤しまれたと伝えられる常行三昧堂、そして最後に信心決定された吉水の草庵(安養寺)を訪ねるのが効果的であるように思われます。

これだと、1日で回ることが可能です。

なお、常行三昧堂は日頃は閉ざされていますが、親鸞聖人の750回大遠忌法要が営まれた年は、比叡山のご配慮で特別に中を見せて頂くことができました。

したがって、また得度に際して拝観させていただけるよう交渉してみてはいかがかと思います。

いま、宗門は激変する社会の求めに対して、この他にも教師教修や布教使課程についても見直しをするなど、いろいろな改革案を検討し、資格取得のハードルを上げることで僧侶の資質を高めようとしています。

この他、住職向けの寺院運営や活性化に関する研修なども検討しているそうです。

かつて得度習礼を受けた時、僧侶の本分として「勉学・布教を怠らないこと」という言葉を心に刻みました。

未だにその言葉を覚えているのは、何かと多忙な毎日ですが、それが真宗僧侶として自分が決して見失ってはならないことだと自覚しているからです。

また、卒論の口頭試問の際、副審の先生からの質問に全て答え終わった後、それまで一言も発することのなかった主審の指導教授が「君の書いた、この内容でいい。

あとは、これをどう実践していくか。

それが君のこれからの課題だ」と言われました。

卒論では、浄土真宗の救いについて述べたのですが、恩師から「浄土真宗の救いとはどのようなことか、それをご門徒の方々にいかに分かりやすく伝えていくか。

それが君の課題だ」と、新たな課題を出されたわけです。

以来、試行錯誤を重ねながら、そのことに努めています。

与えられた課題にきちんと応えられているか否か。

既に先生はお浄土に往ってしまわれたので、その是非はいずれお浄土で聞かせていただくということになりそうです。

「よき人」との出会が一生を左右することを思うと、僧侶の育成体系の中に、「指導者の人材育成」も加えるべきではないか…、と感じることです。