日本人の8割が病院での死を迎える今にあって、
【与論町に住む朝岡勝雄さん(当時86歳)は、
ベッドは自宅の玄関を入ってすぐの部屋に置いた。
「ありがとう」勝雄さんはよく呟いた。
長女の日高静香さん(54歳)は父を看取り、
病室で機械に囲まれ、一人で死を迎えるのに対し、
日本人の8割が病院での死を迎える今にあって、
【与論町に住む朝岡勝雄さん(当時86歳)は、
ベッドは自宅の玄関を入ってすぐの部屋に置いた。
「ありがとう」勝雄さんはよく呟いた。
長女の日高静香さん(54歳)は父を看取り、
病室で機械に囲まれ、一人で死を迎えるのに対し、
「定年後は趣味の園芸を楽しもうと思っていたのに、
60代の男性からこんなお話を伺いました。
しかし、植物を相手にした途端、
でも、その方は続けてこうも話されました。「最近になって、
現役時代は「結果を出す」ことが重要でした。
仏教には「他力」という言葉があります。
思い通りにならない人生の中にも、
私たちの社会には、「幸せ」を測るための、目に見えない「
しかし、本当にそうでしょうか。もし、
この言葉が教えてくれるのは、順位や効率とは別の場所にある、「
人生もまた、同じことが言えるのではないでしょうか。
家族と笑いあった何気ない食卓の時間。
仏さまは、
「一番」を目指すことに疲れた時、
「散ることも、ひらくことも」
春になると、あたたかな風にのって、桜の花が咲き誇ります。
見上げた枝には花が咲き、
ふと、その景色を眺めながら、ある思いが浮かびました。
「咲く花もあれば、散る花もある。でも、
私たちは、どうしても咲くことに意味を見出しがちです。始まり、
でも、仏教の教えはこう語ります。「
散る花を見ると、私たちは、
人生の中にも、思い通りにいかない時や、
けれど、その時にこそ、
春の風を受けて、咲く花もあれば、散る花もある。
「その願いの先にあるもの」
「どうか、うまくいきますように」
「願いが叶いますように」
神社やお寺で、そう手を合わせたことのある方は多いと思います。
でも、少し立ち止まって考えてみてほしいのです。――
「家族が健康でありますように」「子どもが合格しますように」
つまり、願いの裏には「自分が安心したい」「
仏教では、人は誰しも「思い通りに生きたい」
でも現実は、自分の思い通りにはなりません。健康も、仕事も、
仏教の教えに触れると、「欲を持つことが悪い」
「これが手に入れば幸せになれる」と信じて、その“条件”
仏さまの教えは、そうした迷いの中にある私たちに「もうすでに、
本当の安心は、何かを手に入れた先にあるのではなく、
願うことが悪いわけではありません。
でも、願う“その心”を見つめ直す時間も、とても大切なのです。
光に包まれるとは、どのような状況でしょうか、私自身、表現するのが難しい言葉だと思います。たとえば、晴れた日に外に出ると、お日さまの光に照らされます。ある意味光に包まれているということになるのかもしれません。それはそれで有り難いことだと思いますが、ここで示すところの光「智慧光」は、状況的には逆の状態かもしれません。真っ暗な状態が先にあり、そこに差し込んでくるような光ではないかと思います。
2024年4月28日、ある著名な詩人が亡くなられました。星野富弘さんという方で78歳でした。星野さんは事故によって首から下が麻痺してしまった方ですが、その方が詠まれた詩に次のようなものがあります。
「神様がたった一度だけこの腕を動かして下さるとしたら 母の肩をたたかせてもらおう
風に揺れるぺんぺん草の実を見ていたらそんな日が本当に来るような気がした」
星野さんは24歳の時、ほぼ動けない状態になったそうです。それまで体育教師として一生懸命だったそうですが、授業中の不慮の事故で頸椎を損傷してしまいます。寝たきりになった星野さんは人生に絶望したと言います。それまで思い描いていた人生のすべてが崩れさっていくような思いだったと言います。その辛さから色んな人にきつく当たってしまったと言います。つきっきりで世話をしてくれる母にさえ、怒りを爆発させてしまった事もあったと言います。
そんな中で転機が訪れます。それは、病室で窓の外をぼんやり眺めていた時、それまで気にもとめていなかった野花が目に入った瞬間だと言います。誰に見られるわけでもなく、決して良い環境とは言えない日当たりの悪い場所で、ただ自分の花を咲かせる事だけに一生懸命に生きている姿に美しさを感じたと言います。自分もこの花のように生きていきたいと、強く思ったそうです。自分にもまだ生きる意味がある、出来ることがある、そう思えるようになったといいます。
それから星野さんは、その花を絵にしようと思ったそうです。自分の姿を重ねて絵に表現しようとした。もちろん体は動かせないので、口に筆をくわえて描いたそうです。長い月日をかけてようやく一枚の絵が完成する、そこに、自分の今の気持ちを言葉で添えたそうです。初めてそれが完成した時、出来たのは一枚の絵というより自分にとって生きる希望だったと言います。そこから星野さんは絵や詩を書きながら自分の人生を歩んでいかれました。
煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり 【浄土真宗聖典(注釈版)P.595】
浄土真宗で大切に頂いているお言葉の1つですが、本当の光(仏様のはたらき)というものは、その人にとって最も辛い状況の中で知らされるのではないかと教えられるような思いです。星野さんにとって寝たきりということは確かに辛い現実だったかもしれませんが、たまたま出会った野花によって、辛いかもしれないけれども決して否定されるものではないことを知らされてくる。これも自分の人生と引き受け、物事の良し悪しを超えた豊かな人生に巡り合ったのではないかと味合わせて頂く思いです。そして、そのような星野さんの生き方が、周りの人を勇気づけ、なにより星野さんの人生を星野さんらしく最後まで生き抜く力になっていったのではないかと味わわせて頂く思いです。
合 掌