往生とは、私たちの命が終わること、亡くなるという意味合いで使われることも多いですし、また、何か困り果てた時やどうしようもなくなった時などに「往生した」ともよく使われますね。
しかしこの「往生」という言葉は仏教の言葉で、「阿弥陀仏の極楽浄土に往き生まれる」ということが本来の言葉の意味であります。
もちろん命の終わりにあたりこのように表現されるのですが、もう少し味わいを深めてみますと、亡くなることにより全てが消滅し、何もかもが私の側から離れてしまったとしてしまうのではなく、仏様としてお浄土に往き生まれ、私たちの心に仏様として寄り添い、お浄土へと私たちをまた導いてくださる。
そしていつの日か私たちも命終わる時、あなたと同じ浄土に往き生まれ、後に残る大切な方の仏となる。
このように受け止めていく時、絶えることのない命の繋がる世界がそこにはあるような気がします。
また「素懐」というのは、「かねてからの願い」という意味ですので、「往生の素懐」とは、「お浄土に生まれたいというかねてからの願いが達成された」という意味であります。
ですので、半ば習慣化しつつありますが、「天国」や「永眠」などではなく、仏教徒、浄土真宗門徒としての意識を持ち、自信を持って言葉を使うようにも心がけましょう。