お念珠は、阿弥陀様をつつしんで敬い、礼拝するときの大切な法具です。
お念珠を掛けないで礼拝するということは、仏さまをわしづかみにするに等しい行為だとたしなめられた先人もおられました。
仏前に座るときや法事やお葬式などに参拝する場合には忘れずに持つようにしましょう。
さて、合掌礼拝の場合にはお念珠は手を合わせた両手に掛けますが、お勤めや合掌の姿勢以外のときは、お念珠は左手に持つのが浄土真宗のお作法です。
お念珠は古代インドの時代に起源を発しますが、左手にお念珠を持つ所以も、インドの伝統的な考え方にその由来の一端があるようです。
インドには、右手は清浄なる手、左手は不浄の手という考え方があります。
インド人の食事のスタイルといえば、お箸やスプーンなどは用いず、右手で食べ物を直接口に運ぶ姿が一般的です。
命の源である食べ物を直接右手でいただく。
これには右手は私の命の支えとして、清浄なる世界のはたらきがあると捉えられています。
ですので、清浄の手である右手は仏さまを表します。
また左手は、少し汚いお話しかもしれませんが、ごく一部の裕福な家庭や大都市で生活する人を除き、インドにはまだまだ身近にトイレットペーパーというものはありません。
多くのインド人は用を足したあと直接左手でお尻を拭きます。
日本という環境に暮らす私たちには信じられないかもしれませんが、これがインドです。
インドではどのトイレに入っても何故こんな位置にと不思議に思うような場所に水道の蛇口がついてますが、それは便を拭いた左手を洗うための蛇口であるそうです。
したがって左手は不浄を表し、どろどろとした感情を持つ私たち人間の世界を表しています。
つまりは仏さまの右手と、そして左手の私(人間)が胸の前で一つになり、仏さまと繋がる姿勢が「合掌」という姿であり、左手にお念珠を持つというのも、不浄な私がお念珠によって導かれ、仏さまと出遇う尊い仏さまの道具(仏具)としての役割がお念珠であります。