さつまの真宗禁教史8月(中期)

出水郷における一向宗徒の摘発―その7―

前回にひき続き「出水に於ける一向宗禁制史料」(『日本庶民生活史料集成』第十八巻所収)を意訳して一向宗徒探索の様子を見ていきます。

一向宗をどのように執り行ったかと尋ねますと、

  • 一、 平松(出水市)の万左衛門は剃髪者で、馬まじないを仕事にしている者ですが、この万左衛門宅を会所として、毎月七日と二十七日の夜、米三合ずつを持ち寄り執り行います。
    そして、持ち寄った米は少しだけ万左衛門にわけ与えて、あとは肥後の一向宗の寺に都合のつく者が脇道をひそかにとおって差し上げに行きました。
  • 一、 毎月、各自の寺参りは辺路をひそかにそれぞれ参詣いたします。
    一向宗徒は全員参詣しますので、名前まで申すには及びません。
  • 一、 毎年、小麦の収穫時には各人一升ずつ、一向宗の寺の醤油用として差し上げます。
    これは量が多くなりますので、寺の人が麦買いといつわり、あらかじめ小麦が集められている所に参ります。
    野間原(出水市)の御番所より往来手形で通行いたします。
    今年はすでに差し上げました。
  • 一、秋は米を差し上げますが、麦の場合と同様です。
  • 一、今年の正月、水俣浜の町の一向寺(源光寺)が焼失しましたので、一向宗徒は村中-軒残らず四十八文ずつ差し上げることに決めました。
    上は六十四文、百文、一貫文でも志によって出銭いたします。
    また家族が五人でも十人でも人別に三文より十二文ばかり、残らず志として差し上げます。
    火事で難儀されていますので相談して助勢いたしました。
    取り集める家は水流喜兵衛宅です。
    合計十八、九貫文あります。
    少しは私共が持参しますが、残りは寺の下男二人が塩売りに変装して持ち帰ります。