さつまの真宗禁教史 3月(後期)

四十五回

薩摩門徒が念仏を放棄しなかった理由(その3)

前回・前々回で「薩摩門徒が念仏を放棄しなかった理由」を考えてみました。

信仰上の理由として「浄土への憧憬」それとは逆に「念仏を放棄したら地獄へ堕ちる」といった恐怖感を揚げてみました。

また「講組織」に参加する諸魅力を考えてみました。

今回は少し変わった側面から「薩摩門徒が念仏を放棄しなかった理由」を考えてみましょう。

薩摩門徒の「講」も人間の集団です。

そこでは金品(上納金)をめぐる紛争や講頭などの地位をめぐる紛争もありました。

また本願寺の使僧や隣国寺院との争いもありました。

また門徒の中には仲間を密告する者も多くいました。

このように念仏者の講も必ずしも穏やかな集いではなく、疑心暗鬼の社会でもありました。

このように仲間もなにも信用できない、まさに虚仮不実の中にあった鹿児島の門徒にとって、お念仏だけが真実であり、頼りであり、棄てることの出来ないものであったです。

ここに、あらためて親鸞聖人の「火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ、念仏のみぞまことにておはします」(「歎異抄」)

のお言葉が思い起こされることです。

それは兎も角、鹿児島の門徒がひどい目にあいながらなぜ念仏を放棄しなかったか、わたくし(星野元貞)の永遠のテーマでありますが、これが最近到達しました一応の到達点であります。