湛空は、その朝、師の房がお呼びでございますぞ――と同門の者からいわれて、
「はい、ただ今」
答えながら、心のうちで、すぐこう思った。
さては昨夜の自分の真心を上人もお酌(く)み下すって、何か、こ機嫌の麗しいおことばでもかかるに違いない――と。
彼はいそいそと、法然の前へ出て行った。
そこには随身の他(ほか)の弟子たちも大勢いて、上人が何で改まって湛空を呼ばれたのかと、まだ解(げ)せない面持ちでいたが、湛空はひそかに得意であった。
「お召しでございましたか」
「む……」
法然の眉は霜のようにちと峻厳であった、琥(こ)珀(はく)のように茶色をおびたいつもの眸がじっと湛空の面(おもて)を射た。
「――昨夜、この法然が、称名(しょうみょう)しておる折に、近くの室(へや)へ、咳(せき)ばらいしたのはおもとでござったの」
「はい、私でございました」
「なにゆえに?」
「は」
「なにゆえに、さようなことをなされたか、申されい」
「…………」
湛空で、案に相違した師のきびしい語気に、肩を竦(すく)ませたままであったが、
「……されば」と唾(つば)をのんで答えた。
「ゆうべは、臥(ふし)床(ど)の中にあっても、爪も凍(こお)るかと思う寒さでござりました。その深夜に、ふと上人の御(ご)称名(しょうみょう)の声を聞きまして、勿体なや、あの御(おん)齢(よわい)に――とありがたさにお居間に近づき、四隣(あたり)は眠り、人はみな知らぬ時刻ではあれど、わたくし一人は、ここにいて聴聞(ちょうもん)いたしておりまする――侍坐いたしておりまする――さような心持を持って、何気のう咳ばらいしたのでございまする」
法然は、それを聞くと、近ごろにもいつにもめずらしい不機嫌で、声を励ましていった。
「湛空一人のみならず、皆もよう聞き候え。この法然が念仏を申すのは、人に聞かそうためではさらさらない。念仏専修の門をひらいて、ここもう幾十年、おもとらの修行もすすみて、いつ、この法然が世を去るとも、この吉水に咲いた座(ざ)行(ぎょう)往生(おうじょう)の菩(ぼ)提(だい)華(げ)は散り果てる日もあるまいぞと、常に喜ばしゅう思うていたに、さような心得ちがいの者がまだあると思えば法然は心もとのう存ずる」
心から悲しまれているらしい様子なので、弟子たちは皆、粛然(しゅくぜん)と襟(えり)を立てて、一人として、師の顔を仰ぎ見る者はなかった。
法然は、ことばを続けて、
「はや、法然も老いの身、ゆうべの寒さも一しお身に沁みた。――が、それにつけわしの思うたのは、かく温かに夜の衾(ふすま)を重ねても堪えられぬ心地のするものを、その昔、法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)の御苦労などはいかばかりであったろうか。火の中にも幾千劫、水の中にも幾万劫。それも、畢竟(ひっきょう)、誰のために。……誰のために」
つよい語尾だった。
打ちふるえていったのである。
そういう熱情がどうしてこの老齢な人の舌端から走るだろうかと疑われるくらいであった。
「衆生行(ぎょう)を起し、口に常に仏を称せば、仏はすなわちこれを聞きたもう――。称(とな)えあらわす称名(しょうみょう)の声は、たとえ、誰ひとり聞く者はなくても、仏は、一声一声これを受けたもうのじゃ。念仏は人に聞かすものではない。法然はただ一人で喜びそして満足に思うている。――湛空をはじめ一同も、他人に聞かそう念仏などと心得ては大きな誤りでありまするぞ」
朝の陽(ひ)が、上人の背の近くまで映(さ)していた、人々はいつまでも、峻厳に打たれていた。
湛空は、涙をながし、
「不心得を仕りました」
手をつかえたまま泣いているのである。
そこへ、弟子の一人が、
「心蓮どのが戻って参りました」と、法然へ告げにきた。
*「法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)」=阿弥陀如来が、世自在王仏のもとで出家して、その修行中の、仏にならない以前の名。法蔵比丘とも。